川村イーシャ・プロフィール

IshaProf

Ma_Chandra _sha川村イーシャ(Ma Chandra Isha)/チャネラー、ヒーラー、OSHOサニヤシン

Isha(イーシャ)とは、サンスクリット語で探求者という意味です。
25歳の時、意識的に初めて、スピリチュアルな門をくぐってから約15年、私は、まさに「探求者」のように、この道を歩んできました。当時の私は、絡まり合った感情にがんじがらめになっていて、毎日をどう生きていっていいかもわからないほどでした。苦しみを解決したいという思いで、私のスピリチュアルゲートは開かれました。ですが、この道を歩み続けるうちに、私たちの本当の望みとは、目の前の苦しみから逃れたり、社会的な成功や、他者からの承認を得たりすることではなく、その先にある魂の自由と喜びであることに気がつきました。そして、その時から、私の人生は、輝きを増してきました。

悩みを解決したくて学んでいたヒーリングは、新しい自分を感じたいという喜びを目的にするようになりました。魂はすべての体験を祝福しています。

その大いなる喜びに触れたときに、私たちの本当の人生がスタートすると信じています。

私の歴史

1997年 大学在学中に、インド(コルカタ)にあるマザーテレサの施設で、ボランティア活動に携わる。亡くなる2週間前のマザーと出会い、マザーに触れられた瞬間、生涯忘れられない神秘体験する。

2000年 上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、音楽関連会社へ就職

2002年 激務が続き、心身ともに不調に陥るが、その休養中、運命的にニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話」と出会い、魂の真実に触れる衝撃的な体験を通して、精神世界への扉が大きく開く。その後、ニール氏率いるHT JAPAN(ヒューマニティーズチーム・ジャパン)での、メールマガジンの翻訳活動に携わる。また、不思議な縁によって「アミ小さな宇宙人」で知られるエンリケ・バリオス氏と直接交わしたメールで、魂の道を歩むことを心に誓う。

2005年 結婚後、助産院にて最初の出産を体験。

2006年 出産直後の乳腺炎、産後うつ、娘の食物アレルギー、発達障害(PDD)など、子育ての壁にぶつかり、更に深く 自分の内面を見つめながら、様々なヒーリングやセラピーを体験する。

2007年:それまでも自然に行っていたチャネリングが、突如、意識的なものになったことで、背中を押されるようにヒーリングの仕事を開始。同時に、更に内観を深めることと、メディテーションが、ライフワークとなっていく。

2009年 ホメオパス助産師のサポートを借りて、長男を横浜の自宅で出産。

2012年 次男を湘南の自宅で出産。

2015年 1月11日にMa Chandra Ishaというサニヤスネームをテイクする。Chandraは月、Ishaは探求者。月の(陰の、女性性の)探求者。それまで9年間活動母体としてきたUNEELENという屋号を閉じて、Pranava Life(プラナヴァ・ライフ)を開始する。

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マザーテレサとの思い出

大学2年の夏休みに、初めて行った憧れのインド。
コルカタのマザーテレサの施設で、ボランティア活動に参加しました。
それは、1997年9月5日、マザーが亡くなる日から、半月前くらいのことでした。

ある時、多くのスタッフの元に、マザーは車椅子で現れました。

マザーがこんなにおばあちゃんになっていたなんてと、
想像していたよりも、死に近い場所にあるマザーをみて、
私は少しだけショックを受けていました。
 
多くの人が、少しでもマザーに近づきたいと、駆け寄っていました。

私は、なんとかマザーの姿だけでも見えないかと、
少し遠慮気味に後ろの方に立ち、背伸びをしていました。

マザーは自由のきかない身体で、車椅子から手を伸ばしながら、
群集一人一人の頭を優しくなでていました。

そして、私以外の全員の頭をなで終わったようでした。

私は、まだ一人後ろに立ったまま、
マザーにかけよることができずにいました。

「マザーは私には気づいていないかもしれない」

「病気のマザーに負担をかけてしまうかもしれない」

と、私の中には、さまざまな思いが駆け巡っていました。

すると、マザーが私に向かって手招きしているように見えました。

まさか・・・と、私は戸惑い半分、期待半分で、おろおろしていました。

マザーの車椅子は、私たちより一段低い位置にあり
マザーと私たちの間には塀があって、
そこを行き来できる小さなドアから、
マザーは私たちへ手を差し出していたのです。
 
車椅子に乗った小さなマザーの身体では、
一段高い場所の小さなドアの隙間に群がっているたくさんの人々の
さらにその一番奥にいる私に気が付くのは大変なはずでした。

ですが、マザーは、しっかりと私を見てくれていたのでした。

突如、みんなの視線が私に集まり、
私は、みんなに背中を押されて、
マザーの前に進みました。

「good girl」と、優しくか細いおばあちゃんの声で、
そういいながら、
マザーは優しく私の頭をなでてくれました。

その瞬間、今まで体験したことのないような
溢れ出る感情とともに、
大粒の涙がこぼれてきました。

それまで誰にも存在を認めてもらえなかった
愛に飢えた小さな子供が、
初めて本当の愛にふれたかのようでした。

私は、小さな子羊そのものでした。

20年近くがたちますが、瞑想でも、セラピーでも実生活でも
あの時以上に泣いたことはないように思います。

「愛の反対は、無関心」と高校時代に繰り返しシスターに言われた言葉を、
私は身をもって体験しました。

私の心の大きな解放が生じたのは
マザーの手が、マスターの手だからだったと
今だから分かります。
 
帰国後、数日してマザーの訃報を知り、
私は、とてもショックを受けました。
 
ですが、私の心の中には、リアルにマザーが存在していました。
 
インドでのボランティア活動では自分の未熟さを知り、
それは人のためじゃなくて、自分のためだと気が付きました。

炎天下で汚物のついた洗濯物を洗いながら、
「不幸な人のために幸せな私が何かをしてあげている」
と感じていた自分のエゴに気がつき、
情けなくて、涙が出てきたこともありました。

おもちゃの宝石をつけた無邪気な老婆と、子供のように戯れながら、
ここでは、みんながマザーの子供であると感じました。

大学生活のことは、ほとんど記憶にない私ですが、
本当の自分を少しだけ体験できたこの記憶は、
一生忘れられないものです。

私はDoreen Virtueのオラクルカードのマザーの顔が、とても好きです。
厳しく強い女性という印象が強いマザーですが、
そのカードの表情は、 子供のような無邪気な喜びをたたえているように思います。

まさに皆の「母」であったマザーは、 亡くなって神の子に戻ったのだと、感じました。

銀河の署名

KIN120 黄色い電気の太陽(Yellow Electric Sun)

[白い太陽の魔法使い]の年 スペクトルの月 27日(金)

キンの書
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私は照らす(啓発する)ために活性化する
生命をつなぎとめながら
普遍的な火の母体を封印する
奉仕の電気の音で
私は開花の力に導かれる
私は極性キン 私は黄色い銀河スペクトルを確立する

BOOK of KIN
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I activate in order to enlighten
Bonding life
I seal the matrix of universal fire
With the Electric tone of service
I am guided by the power of flowering
I am a polar kin-I establish the Yellow galactic spectrum