健全な自我〜日本人にとっての女性性

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女性性の時代であることが広く知られるようになってきた。
 
2000年からの水瓶座の時代では、それまでの魚座の男性性の時代から、女性性の時代へシフトしていくのだという。
 
まだ、私たちは、その過渡期にあるため、魚座時代の生き残りたちが世界を牛耳っているわけで、輝かしい女性性の時代の繁栄がやってくるのはまだまだ先なのかもしれない。
 
けれど、小さくても確かなムーブメントが起こっているのは確かだ。
 
10年後、30年後には、もっともっと、このムーブメントは大きくなっているにちがいない。
 
女性性とは、あまりに多種多様なもので、一言で語ることはできないのだけれど、一つだけ言えるのは、人によって、文化によって、国によって、それ以外の様々な背景によって、取り戻す必要のある女性性の側面も変わるのだということ。
 
その意味で、私たちは、360度、自分を見直しながら、一つずつ、自分の女性性を受け入れていく必要がある。
 
その考え方からいうと、女性性とは、受容や許し、はたまた、過剰に性的であることなどが取り上げられるけれど、分析していけば、それがすべての日本人に必要な女性性とは言えないし、むしろ、日本人にはまた別の側面が必要だと言える。

日本の歴史や文化を調べていけばわかるのだけれど、日本は、長い間、女性原理の考え方に支配されてきた。家では男子が生まれることを望まれ、男尊女卑の社会だったというけれど(今でも少なからず)、それでもやっぱりそこには女性原理が宿っていた。
 
ユングの考え方に基づくと、男性性とは切断し、分類する力であり、独立、主張、個であることを推し進める力であると言える。

そして、女性性とは、呑み込み、受け入れ、個を必要とせず、集団となり、一体化させる力と言える。

日本人がNOと言えないのは世界中に広まった事実になってしまったけれど、西洋社会の美徳が個であることであるのに対して、日本社会では集団であることがまだ美徳とされていることは否めない。

つまり、自我を持たず、集団に合わせて決断し、行動し、共通の概念に従うことを美徳とする日本人の生き方は、女性原理に基づいてきたのだ。

だとしたら、私たちに日本人にとって必要とされる女性性とは、西洋のものとは異なる側面を持つのは明らかだ。

個であることばかりが重要視されて、共感や他者とのつながりを感じにくい西洋社会においての女性性が、受容性や許し、つながりを重要視するのだとしたら、個を持つことを暗に禁止されてきた(暗にというのも女性的な陰の側面だと感じるが)私たちにとって必要な女性性とは、決断し、個を生きることだと言える。
 
セラピー業界でも同じことが言える。ちょっと前に、SNSで、こんな風なタイトルの記事が回ってきた。中身は見ていないから詳細は書けないけれど、タイトルは「西洋のセラピーが日本人に作用しない理由」というようなものだった。

つづく

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川村イーシャ

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