愛の勘違い

family-hand-1636615_1280ここ最近は、以前よりも「愛」という言葉の文字化を、ためらわなくなってきた私がいる。

以前は、もっとそれに畏怖を感じていた。
 
思えば、この約10年の間に、多くのクライアントさんたちからどれだけの「愛」の形を見せてもらってきただろうか。

セッションという形で、それぞれ辿ってきた道の深遠さを共有させてもらうとき、その尊さにひれ伏したくなる。

それは、畏怖というよりも、親密さを伴う感動に近い。

そんな経緯や、私自身の「愛」への気づきを少しずつだけど繰り返しながら、15年が経過し、「愛」は、今、以前より私に近い場所にやってきてくれた。

いや、本当は、「愛」はずっとそこにあったけれど、私が気がつくことができなかっただけで、少しずつ時間をかけて、私自身が「愛」の方へ歩みを進めてきたんだろう。

長い間、私は、「愛」を勘違いしてきた。

きっと、私たちの多くが、似たような勘違いをしているだろう。

例えば、私たちは、子ども時代に親から受けた罰や、怒りによって、罪悪感を抱いている。

また、無意識でも意識的でも、親が何かを背負って生きているとしたら、子どもはその生き方を模倣する。

そして、それこそが「愛」だと思っている。

だから、「自分を大切にしてくれない人を好きになる」とか、「暴力を振るう人を好きになってしまう」とか「誰かのために犠牲になって、自分を生きない」いうのは、それが、本人たちにとっての「愛」のあり方なんだから仕方がない。

そんな時、「そんな男とは別れてしまいなさい」とか「あなたは自分を大切にしていない」とか「自分を生きなさい」と、誰かにアドバイスを受けとたとしても、あまり効果は期待できない。

仮に、何かアクションを起こしたとしても、本人の奥深くには、ある強力な信念があって、それがある限り、結局は同じことを繰り返してしまうからだ。

そんな時、私たちが無意識の奥深くで抱えている信念の一つに「私を大切にしないやり方こそが愛だ。」というものがあるだろう。

子どもたちは模倣しながら成長する。

つまり、親がしたことや、親が生きたことそのものを模倣しながら、「愛」を学ぶ。

それは、私たちが本来、愛に従順であるという証でもある。

どれだけ親が嫌いだとマインドが語っても、気がつけないほど深い場所で、私たちは親を愛している。

親の生き方を模倣したり、家族の中でバランスを取ろうとして犠牲になったり、誰かとの関係性を他の関係性に転移させ続けたり・・・と、私たちは様々な形で、間違った愛を表現し続けている。

「間違った愛」と書いたけれど、本人は間違ったわけじゃなくて、「愛の勘違い」をしていただけにすぎない。

親からそんな「勘違いの愛」を教えられたのだから仕方がないし、そう思えば、自分をダメだしする必要は全くないとわかるだろう。

他人から見て、どれだけ愚かに見えたとしても、それこそが、本人にとっての「愛」の形なんだから、それは理にかなっている。

そうわかると、私たちが、現実的にどんなに不幸であったとしても、それは、自分なりに学んだ「愛」に基づいているってことが理解できる。

私たちは、どんな形であっても、結局「愛」を貫くことしかできないのだ。

cimg1794そう気がついただけで、私たちの「間違った愛による呪縛」は解ける。

王子様のキスが、魔法使いの呪いを解くように、その呪縛が解けるのは、私たちが自分に優しくあれるときだ。

過去の勘違いを責めることなく、結局それが「愛」だったと気がつき、自分が自分にキスできるとき、私たちは本当の意味で自由になる。

それは、まさに、大人が子どもへ向き合うときの、成熟したあり方だ。

インナーチャイルドワークは、心を解放するのはもちろん、自分に向かい合う最善のあり方を私たちの内側に育ててくれる。

そして、その成熟した自分が、本来の「愛」へと、自分を導いてくれる。

そこから、始まる「愛」は、もはや、その道を外れることすらできないほどに、眩しく、確かで、信頼のおけるものだ。

川村イーシャ

〜もっとシンプルに、魂の望みに沿って生きたい人のための〜
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