不定形発達育児記5:発達障害は増えているのか?

このブログのカテゴリー名でもあるように、不定形発達と定形発達という概念がある。

これを知った時は、親として、とても気が楽になった記憶がある。

というのも、ここには障害というレッテルがなく、定型発達が一般の育児書に沿った発達を遂げている人、不定形発達はそうではない発達を遂げる人という事実だけが伝えられているからだ。

この言葉には、心配の感情が入り込む余地がない。

子どもの自閉症の症状について調べていると、多かれ少なかれ、それが自分に当てはまると思う親は多いという。

我が家ももれなくそうだった。

自閉症のチェック項目に、私も夫も、それぞれチェックがいくつも入った。

私は、実は、娘の状態は、夫ではなく、我が家の家系からのものだと思っている。

親族の中に似たような症状が見られたからだ。

そして、私自身についても、かなり色濃くそれが現れているように感じている。

私は言葉の遅れがなかったから、診断を受けなかった。

娘は言葉の遅れがあったから、診断を受けた。

私は、表面上はコミュニケーションに遅れがなかったから診断を受けなかった。

娘は、目に見えてわかるコミュニケーションに遅れがあったから診断を受けた。

それくらいの違いであって、内的には、同じように私の中にも、娘の持つ不定形発達的質があったように思えた。

そして、それを実際発症している家族も、痛みが深い人たちであるのは事実だ。

だからこそ、どれだけ家族をかばいたくても、それが、家族の輝く個性だとは言えなかった。

家族の座(ファミリーコンステレーション)のワークと出会うと、家族を正当化する行為は防衛であると理解できる。

もちろん、インナーチャイルドワークでもだ。

暴力を受けた多くの人が、それをDVだと認識しないのと同じだ。

傷ついた内なる子は、愛する人が抱える問題をありのままに認識せず、美化することで、間違った愛のあり方を貫こうとする。

そうでなければ、相手を批判したり、否定したりするしかないし、そうすれば、その人の期待に応えられないと思い込んでいる。

それはできないからその人の暴力はなかったと思うか、自分が悪かったから仕方がないと思っている。

正当化も、否定も、結局は同じ在り方でしかなく、そのどちらも赦しからは程遠い。

真の赦しは、痛みを直視しながら、それを批判せず、受け入れるという姿勢にある。

私のせいいっぱいの家族への愛と赦しとともに、我が家が抱える自閉症の質について表現するならば、知覚の敏感さ、体と心のズレ、こだわり、表現とコミュニケーションの窮屈さが、彼らの心の痛みを強めていると言えるだろう。

そして、家族から受け継いだその質によって、私自身も同じように苦しい期間が長かった。

専門家に言わせると、それは、発達障害そのものの質というよりも、後天的なストレスだという。

外からその障害がわかりづらい彼らは、周囲に過剰な期待をされ、理解されず、孤立するのだという。

障害そのものの問題よりも、周囲の不理解による心的ストレスの方が彼らにとっての問題だと、抑圧された怒りのようなもので声を震わせながら担当医が話してくれた時には、彼の中にこそ、長い間抑圧されてきた心的ストレスをみた。

今にも爆発しそうな爆弾を抱えている彼には、発達障害のような兆候がみられ、社会人としては、とても生きにくそうだった。

自分自身のことを振り返っても、精神科医やセラピストが、自分自身のことを知りたくて心の世界に足を踏み入れるというのは、紛れもない事実だと再認識した瞬間だった。

現在、自閉症を含む発達障害の子が増えているというけれど、それについても、別の解釈があるようだ。

それは、発達障害は昔から一定程度の割合で発生していたが、現代になってそれを特別だと認識しだしたことで、受診する人が増えただけだという考え方だ。

だから、発達障害が増えているというのは確かではないのだと、通っていた医療機関の専門家から聞いた。

「原因はわからないけれど、あなたのせいではないのですよ、お母さん。それは、自然発生的に一定量でいつも生まれてくる種類の人たちなのです。特別ではないのです。普通のことなのです。心配しないでください。」

というような説明がしっかりと腑に落ちなかったのは、その時の私が被害者でいたかったからかもしれない。

「発達障害が増えているのは、環境ホルモンのせいだ、予防接種のせいだ」と外に原因を見つけ出して、それらを糾弾し続けている方が、楽だったからかもしれないと今だから思う。

だけども、自らの自閉症について著書の中で明らかにしながら、多くの自閉症の人たちやその家族を勇気付けてきたテンプル・グランディン氏は、その著書の中で、それでも、自閉症は確実に増えている、と述べている。

どちらが正しいのだろうか?

それは「自閉症は病気や障害なのか?」という質問の答えくらい、不明瞭なことのように思える。

正しさで線引きすることは、真の科学(人間学)の発達と、その道の学者に任せておいていいのかもしれない。

*最近では自閉症は脳の障害ではなくて、知覚神経の障害だという発表があったことが印象的。
http://karapaia.com/archives/52223339.html

なぜかって、学者も含んだ《全人類》にとって、すべての《障害》は、間違いなく愛への入り口だからである。

私自身も、発達障害の娘を産み育てるという出来事がなければ、きっと、自分と向かい合うことはなかっただろう。

自閉症という重々しい言葉は、私が自分と向かい合うための大きなきっかけとなった。

つづく

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