不定形発達育児記4:自閉症は《個性》か《障害》か?

現在11歳の娘が、4歳のときに受け取ったPDDという英語の診断名は、簡単に言うと発達障害の一種で、自閉症の一種だという。

言語発達の遅れを伴わないものをアスペルガーといい、伴うものを自閉症というらしい。

娘の場合は、言語的遅れがみられたために、自閉症の部類にあたるPDDというわけだ。

PDDとは、広汎性発達障害といって、育児書に書いてあるような一般的な発達を遂げていない場合に使われる使い勝手の良い診断名だと聞いたことがある。

そうではなくて、それは、立派な意義のある診断名だと専門家は言うかもしれない。

だけど、医者はいう。

原因はよくわかってない。

それは治らない障害で、治療法はない、と。

だとしたら、そんな診断名は、一般人にとって、どうでも良いものだ。

正直言って、大抵の親が知りたいのは、その原因と、どうすれば治るのか?だ。

それは、結局、よくわからない、広い範囲に渡る発達障害という曖昧な意味でしかない。

まあ、風邪にだって特効薬はないわけだから、自閉症にあるわけはなく、現代医療を責める気も起こらない。

前にも書いたけれど、私たち夫婦は、この診断名を否定しようと気はさらさらないし、自閉症という診断を受けてホッとしたというのが事実だった。

※詳しくは前回の記事へ

じゃあ「自閉症は病気や障害なのか?それとも個性なのか?」という質問に、私と夫は、個人的な見解であるけれど、今は「障害だと認識している」と答えるだろう。

なぜなら、当時の娘の状態を思い出したときに、それは、どんなに頑張っても《個性》とは言えなかったからだ。

理解できない、言葉を話さない、わからない、意思疎通ができない、いつも泣き喚いている・・・というのは、娘にとっても窮屈だったろうと思う(本当にそうだったかはわからない)。

そして、私たち親も、とても不安だった。

「不安だから障害か?」と言われると、定型発達者のうがった考え方のようで、傲慢だし、その理論は成り立たないと思う。

だから、何度も伝える通り、このことは個人的な見解であって、親の感情が少しは入っていることをご理解いただきたいと思う。

だけど、ここについては、感情論だけではなく、私たちが辿った治癒の経過という事実をもう少し明らかにしてきたいと思っている。

とにかく、個人の感覚なので、病気や障害であっても個性であっても、どちらでもいいと思っている。

確かに、自閉症は、《個性》であって、障害でも病気でもないという議論があることを知っている。

私たちが悩んでいた時期に「心配することはない、それは、個性だから。」と何度か励ましのメッセージを伝えられた気がする。

だけど、私たちが彼らの言葉をそのまま受け取らなかったのは、彼らがはなから医療機関に出向いていなかったことや、治療という選択をとっていなかったから、また、自閉症の子を持つ親ではなかったからだ。

症状に本気で向かい合う選択をする親は意外と少なく、大概は、大したことはないと楽観的にほっておくか、行政のいいなりになって不安でいっぱいかのどちらかだ。

私たちは、積極的な治療と改善を選んでいたけれど、不安がなかったわけではなく、いつも迷っていた。

だから、当事者ではない人たちからの不安や痛みを理解しないで放たれる言葉は、私たちには響かなかった。

ここは感情論でもある。

だけど、ただ、事実だけを捉えれば、専門家に診断を受ける、治療をする(西洋医学では治らないとされているが)という対応ではなく、ただ、その子をそのままにしておくという選択をしているとしたら、私たち夫婦とは辿った道のりが異なるから、意見も違って当然なのだ。

それはそれでよいわけで、私たちには私たちの辿った道があり、互いのアイデアを尊重したいと思う。

シンプルにいうと、私たち夫婦は、自閉症を《障害》と思っているが、治らないという西洋医学の考え方には納得しておらず、それは治る、改善すると思っていて、そうなったときに、それが《個性》になると信じている。

そして、今、私たち夫婦は、娘の状態を目の当たりにして、娘の状態を《障害》ではなく、《個性》と思えているのだ。

つづく

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