No.130 家と家族

ちょっと前に、とある講演会で

「家という制度が、現在の分裂した社会のあり方生み出した」

という話を聞きました。
家や家族という意識は

西洋からムラ社会の日本にもたらされた

新しい価値観であり

それによって、日本人が

小さな集団に生きるようになったことで

現代の核家族化が進み

人々のつながりが薄れてきたのだと。
わたしは、文化人類学者でも

社会学者でもないので

歴史のうんぬんはわからないけれど

家という制度が、どんなふうに日本人とともにあったのか

ムラ社会っていうのが、どんなふうに日本に根ざしていたのか

ちょっと気になるところです。
何かわかったら、メルマガでもお伝えできるかもしれません。
話は変わり、私は、3年前に

横浜から茅ヶ崎に移り住み

いわゆるマイホームというものを持ちました。
このご時勢に家を買うって結構大きな決断だったのですが

それでも、その決断をしたのは

一生、それを所有するためというよりも

(夫にとってはどうだかわかりませんが)

私たちの望むライフスタイルにとって

それが、最善の選択だったからです。
今も、ここに一生住むことはないだろうな~って思ってます。
だけど、土地や建物を所有すると

少なからずそれらに執着が生まれるのは確かです。
所有した時に初めて、

「自分の領域」と「他人の領域」という意識が生まれます。
うちの近所には、5軒の家が同時期に建ち

ご近所同士、みんな仲良くやっていますが

昔と比べると

ご近所づきあいは非常に希薄な感じがします。
近所の連絡網はオンラインが基本。
ゴミ当番のこと、急な連絡のあれこれは

かわいいスタンプと一緒に

ラインに流れ込んできて

あまり、互いに顔を合わせる機会はありません。
それぞれのライフスタイルが妨げられることがないし

とても便利になったけれど

井戸端会議したり

ちょっと隣の家におじゃましてお茶したり

お惣菜を持って行ったりという

生身のふれあいは、ほとんどありません。
私もそうだと言えますが

そういう生身のふれあいを

互いにどこか遠慮し、避けているのかもしれません。
マンション住まいが長かったので

家を持つと付き合い方が変わるのかも・・・

と思っていましたが

都会のマンション住まいと、

今でもさして変わらないご近所づきあいです。
社会って、人って、すっかり変わってしまいました。
冬の寒い夜道を自転車で走りながら

隣近所との関係を絶ったかのように

孤立して建つ家々に、

灯がポツンと小さく灯っているのを見ていると

「家」が社会の分裂を生み出したっていう言葉を

肌身で感じ、その痛みにハートがきゅって縮こまります。
世の中は、本当に、分裂してしまいました。
「家」を所有し、「家族」に所属することによって。
本来、誰の所有物でもない大地に

自分と他人の領域を線引きしたときから

人類の分裂の歴史が始まったのでしょう。
私自身も、それに加担している現実。
私も、しっかり、この社会のシステムに組み込まれて

望むライフスタイルさえも

社会から与えられた何かを

自分の望みだと、鵜呑みにしているのかもしれません。
私自身が目指すヒーリングは

自分の望みを現実にすることであり

生きやすさを体現することです。
だからこそ、望みと思っているものが

本当に自分の望みなのかっていうことには

いつも、懐疑的でありたいと思っています。
こうしたいっていう望みが叶うことが

人生のゴールではないですから。
叶ったことで、何かがわかることもある。
願いが叶った状態に居座るんじゃなく

変化を受け入れて

内側に響く感覚に

正直でいたいなって思うんです。
つづく・・・