∞ 身体に染み込んだ愛

#79

茅ヶ崎は、朝から続く大雨で、今日は1日、子どもたちと一緒に自宅で過ごしていました。

こんなにゆっくりパソコンに向かったのはいつぶりでしょう。

BGMとコーヒーを楽しみながら、溜め込んだ事務仕事をこなす時間は、仕事だけではなくて、自分の頭の中を整理する作業でもあって、とても充実しています。

そんな中、周囲のいろんな変化の話題も飛び込んできて、多くの人が何かを整理しながら新しい世界へ入る準備をしてるんだろうなと感じていました。

この大荒れの天気はそれを反映してるんでしょうか。

星読みだったら、今日はなんだかすごい星回りだって言うでしょうか。

そんなことを思いながら、家事や事務仕事をしていたとき、私にも、静かな気づきがやってきました。

気づきは「わかる」「わかっている」「知っている」という感覚とは違っていて、「感じる」「観じる」という言葉の方がそれに近く、さらにいうと、それは、自然現象的のようでもあり、“落ちた雫を受け止める感覚”に似ていると、私は感じています。

そして、今日、私のハートにポタリと落ちてきた雫は、こんなことを私に観せてくれました。

私は、常に、心理的安全性を重視してきました。

あらゆることにおいての安全性です。

それは関係性、キャリアなどの細部に渡ってきたように思います。

仕事では特に「絶対に安全」と思える相手としか関わってきませんでした。

そこに微塵でも不安要素を感じたら、関わることはしませんでした。

内側の子どもたちにとって、安全や安心というニーズは、第一に大切なもので、それを否定する必要ありません。

それは、生まれた星にだって記されていて、牡牛座をたくさんの天体に持つ私にとっては、譲れない基本的な質でもあります。

だけども、いつしか、私の信頼絶対主義は、“物差し”になっていたのかもしれません。

 

信頼は大事。

だけども、それで人を測る必要はない。

少し冒険をしよう。

信頼は無くなることはない。

 

私が、それまで利用してきた信頼が、記憶とともにふわっと、匂いや触感のような感覚として、内側に湧いてきました。

それは、母親の匂い。

母親に抱かれていた頃の柔らかさ、温もり、肌の匂い。

そんな形や意味すらない、ただの感覚が身体に染み付いてきたからこそ、こうして、それを信頼として感じてこれたのでしょう。

これがなければ、私は、きっともっと孤独だったでしょう。

どれだけ生きることに必死で、サバイブしてきたとしても、生きるための何か、つまり、愛を何らかの形で受け取ってなければ、ここにはいないのです。

だけど、受け取ってきたものに気がつくのはとても困難です。

それは、多くの場合、形も、社会的価値もないものだから。

そして、一見捉えどころのないような愛に気がつくことができたとしたら、そこから、世界は全く新しいものに映ります。

 

欲しい欲しいと言ってきたものは、本当はもう手の中にあって、ただ、形がないから、気がつけなかっただけなんだ。

 

私の身体に染み込んだ愛が、蘇ってきた瞬間でした。