カテゴリー別アーカイブ: Isha BLOG

黄金の鳥は木のかごにいれよ

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前回のヘンゼルとグレーテルの話に引き続き、再び昔話について語ってみたいと思う。

「黄金の鳥」という物語の中で、一人の王子が、黄金の鳥を捕まえに行き、それを狐が手助けするという場面が描かれている。

狐は、王子に黄金の鳥を捕まえるためのいくつかのアドバイスをするのだが、そのうち何度かは、王子がそれを聞かなかったため、困難な状況に陥ってしまう。

そのアドバイスの一つが「黄金の鳥を捕まえたら、きらびやかな金のかごではなく、必ず質素な木のかごに入れて持ち帰ること」という不思議なものだった。

王子は、黄金の鳥を見た瞬間そのあまりの美しさに、木のかごは不釣り合いだと思い、装飾の施されたきらびやかな金のかごに入れて持ち帰ってくる。

そして、結果、王子は捕らえられて、命の危機に瀕してしまうのだ。

このことは、昔話の単なる気まぐれなアドバイスかと思いきや、実は、人の心理の深みが描かれているのだと、日本で最初のユング派分析家である河合隼雄氏(1928-2007)はその著書の中で語っている。

そして、40年も前に書かれたその内容は、現代の癒し業界への警鐘のようにも感じられるのだ。

この物語は、王が大事にしている黄金のリンゴの実が盗まれるという事件からスタートする。

そして、それを盗んでいるのは、どうやら夜に現れる黄金の鳥だということがわかり、そのリンゴ泥棒の犯人である黄金の鳥を捕らえるために、王子が旅に出るのだ。

心理的象徴として、黄金のリンゴがなくなるというのは、現実に生じているなんらかの危機を示している。

また、その原因である、夜中に現れる黄金の鳥とは、潜在意識に潜むもの、例えばトラウマであったり、なんらかの思考体系であったりするわけだ。

だけども、同時に黄金の鳥は、ギフトを示してもいる。

つまり、それを、潜在意識の闇の中から拾い上げてくることができれば、現実に生じている危機も超えられるし、そこから新しい可能性も広がっていくというわけだ。

だけども、その原因である黄金の鳥は、質素な木のかごに入れて持ち帰らなくてはいけないのだ。

決して、装飾の施されたきらびやかな金のかごではダメなのだという。

なぜか?

つまりこれは、「どんな心の内側のものであっても過大評価したり、ポジティブシンキングによって飾り立てたりすることなく、ありのままを見よ」というアドバイスなのだ。

ただ、それを、そのまま、まっすぐな目で捉え、認識する。

それができなくては、せっかく捕らえた黄金の鳥も、むしろ人の命を危うくする。

つまり、潜在意識にあるものをきらびやかなもので包み、飾り立て、ポジティブシンキングで都合の良いものに仕立て上げることは、人を、癒しではなく、むしろ危機に追い込んでしまっているということだ。

まっすぐな目でそれを捉えることができないのは、恐れから発生している。

痛みを認識するのが怖いのだ。

そんなとき人は、自分や出来事を正当化し、問題をなかったことにしてしまう。

物事の考え方が悪かったのだと、自分を責めることもあるかもしれない。

そうして、潜在意識から顕在意識(目の前の事実)へ戻ってきたとき、そこには何が残るのだろうか。

おそらくそこにあるのは、何も変わらない痛みを伴う現実でしかない。

事実に向かい合わないやり方、つまり、こう思い込めば「痛くない」「苦しくない」とする、事実に砂糖をまぶしただけの一時しのぎは、現実を変えていくものではない。

1度や2度は、それでもいいのかもしれない。

ただ、それが継続していったとき、まぶされた砂糖の分厚さは、防衛の厚みと同じであることをわかっていたい。

つまり、それは、危険を増していく。

現実はさらに複雑化し、良いことをやっても、いい風に考えても、何も解決はしない。

なぜか想定外の痛みがやってきて、現実はいつも困難続きだ。

自分はそんな運命だからと諦めるのか、もしくは、その痛みも結局幻想だからと開き直るのか、どちらであっても、痛みに真正面から向かい合っている姿勢とは程遠く、それをやっているうちは、やはり、砂糖まぶしの防衛止まりだということを理解していたい。

つまり、このことは、ギフトを現実にもたらす、癒しと変容とは全く別物であることを、黄金の鳥の物語は、はっきりと私たちに伝えてくれているのだ。

 

黄金の鳥は木のかごに入れよ。

真実は、飾り立てることなく、ありのままに、まっすぐ捉えよ。

事実はただ、事実のまま受け入れよ。

そのとき、隠された宝が見えてくる。

 

それが、この「黄金の鳥」の物語に込められたメッセージなのだ。
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川村イーシャ

 

【初級集中特別編】オンラインコース by Zoom〜ハートエデュケーション

〜もっとシンプルに、魂の望みに沿って生きたい人のための〜

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東村山クラス以外は、オープンクラスですので、1回からの参加が可能です。

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愛が愛のまま

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愛が

愛のまま

ただ

愛であること

 
 

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川村イーシャ

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ヴォイドタイムの過ごし方

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勝手ながら、8月は不在となる期間があります。
詳しくは以下をご確認ください。

【重要】不在のお知らせ


void(ヴォイド)という言葉を辞書で検索すると、空虚、空っぽという意味がある。

この言葉を、心のプロセスにおいて利用するとき、気づきや変化の生じない、単調な日々・・・という意味になる。

それまで、意識に変容を起こしながら、現実をじゃんじゃん変えてきた人たちにとって、突然にやってくるこのヴォイドタイムは、あまり良いものには感じられないかもしれない。

「あれほど、毎日が、気づきと刺激と変化にあふれていたのに、最近なぜか、何も生じない・・・」

そうすると、

「自分の変化はもうここで行き詰ってしまったのか・・・」とか、

「結局過去の気づきや変容は幻想だったのかもしれない・・・」とか、

最悪の場合には、

「スピリチュアルな道の探求なんてやめてしまおう・・・」

なんてことを、思ってしまったりもする。

だけど、このヴォイドタイムこそが、とても重要なのであり、ここを超えてこそ、さらにもう一歩自分の本質に近づけるのだ。

それに、変容だけが、重要だというわけではなく、変容が「動」だとしたら、ヴォイドは「静」であることを忘れてはいけない。

「静」と「動」のエネルギーは対になり、互いに互いを助け合っていて、どちらが欠けていても不完全なのだ。

また、ヴォイドを避けたいと思っているとき、刺激や変化を求め続ける自分がいることにも気がついていたい。

刺激は、言葉通り刺激的で、私たちを興奮させる。

内側に中毒性の恥があればあるほど、刺激にひかれてしまう。

人生の大混乱や、不安定さ、感情のアップダウンによって、いつも苦しみと大袈裟な解放の乱高下を繰り返している人たちは、この中毒性の恥というシャドーに自分を乗っ取られている。

いや、正確にいうならば、「乗っ取られている」ではなくて、「乗っ取らせている」のだ。

理解しておきたいのは、安定とは、しっかりとした軸に支えられて、自然の動きに抵抗せず揺れていられることであり、頑なに動かないで踏ん張っていることでもなければ、軸を失い、迷走し、アップダウンを繰り返し、結果疲弊することでもないということだ。

それは、ただ、外側の動きを問題だととらえて、それによって傷つく自分を選択しつづけているだけだ。

そんなとき、どんな些細なことでも、問題だと認識されてしまうだろう。

問題を問題だと感じてしまう、傷ついた自分が、内側にまだいることの証拠だ。

ある人が言った。「人のバイオリズムは、上向きのときと下向きのときがるから、下向きのときは、頭からふとんをかぶって死にたい死にたいと叫んでいるけれど、それを抜けたら、とても楽になる。」と。

人生が下向きのとき、つまり、静であり、ヴォイドタイムにあるときに、死にたいと言い続けるのは、決して成熟した在り方とは言えない。

むしろ、傷ついた子どもの未成熟な反応だ。

それは、健全な自我が構築されていないことによって、中毒性の恥に意識が汚染されていることの象徴だ。

そういう場合、ヴォイドタイムは激しく退屈で、自分を傷つけ、いっときも早く抜け出したい地獄のように感じられるだろう。

だけど、ヴォイドタイム、そして、静のエネルギーの本質はそんなものではない。

ヴォイド、静とは、自分自身と深くつながり、足元に咲く花の美しさや日々の営みに喜びを感じられるような、満ち足りた時間だといえる。

そんなとき、私たちは、刺激を必要とはしていない。

不安定さも、激しくアップダウンし続ける感情の乱高下も、誰かへの強烈なジャッジメントによって自分を確認するやり方も、外側に反応するものは、何一つ必要としていない。

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19ヴォイドタイムは、私たちに滋養をあたえながら、次にやってくる、大きな変容を受け取れるような内側の土台作りをしてくれるだろう。

そして、ただ、私は、私と共にあることができる。

静かに、内側に、座り続けながら。

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川村イーシャ

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ヘンゼルとグレーテル・その3〜母殺しの意味

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前置きが長くなったけれと、ヘンゼルとグレーテルは、まさに、この不在の父親と肥大化した母性の犠牲となった、息子と娘の話だと言える。

ヘンゼルとグレーテルは、継母の提案で捨てられることになって、森の奥に連れて行かれる。

父親は実父だという設定だが、愛する子どもたちを殺そうとする妻に向かって、父親は、どうして、NOと言えなかったのだろうか。

そこに、まさに、不在の父親(男性)像が見えて来る。

また、現代版の物語では、継母とされているが、実はこれは、書き換えられた設定で、本来は、実母であったのだという。だけども、それはあまりにも恐ろしいことだという道徳観によって、継母に変更されたのだという。

こうして、世間では、継母=悪、という図式が出来上がっているけれど、これは、本来継母が悪なのではなく、母=悪という図式が転じたものだと言える。

ステップマザーたちが、子どもたちと親密に関わっている実例はたくさんある。

また、実母たちが虐待の末に子どもたちを殺してしまう事件もある。

つまり、継母か実母かではなく、女の脅威こそがここで語られていることなのだ。

生命の源である母は、その命の全権を握り、終わらせることもできるのだという破壊的信念が、女性たちの奥深くに眠っている。

さて、このヘンゼルとグレーテルという物語は「不在の父を持つことは不幸であり、肥大化した母性は恐ろしく、子どもたちの人生は地獄である」と語っているのではない。

物語はここでは終わらない。

継母が肥大化した母性=グレートマザーの原型だとしたら、森の奥のお菓子の家の魔女は、まさにグレートマザーの根源のように描かれている。

美味しい食べ物で子どもたちを操って、虜にして、そして、食べてしまおうというまさに、生み出し、育て、飲み込み、殺す母の象徴だ。

魔女のいいなりになったかのように見せながら、自分が食べた鶏の骨を、自分の腕だと言って魔女に触らせて、全く太ってないから食べても美味しくないのだと演出したヘンゼルも賢いけれど、最後に、勇気を振り絞って、魔女をかまどに突き落とすグレーテルの勇気も素晴らしい。

つまり、一度は、継母(実母)の肥大化した母性の餌食になった二人の子どもたちは、傷ついた息子、母親のいい子ちゃんという未熟な役割を超えて、最大のグレートマザーである魔女を乗り越えたのだ。

魔女を殺したのは、息子ではなくて、娘であったことはとても特別な意味があると思う。

女性の闇に巣食っているグレートマザーという元型を殺し、本来の女性性に目覚め、時代を変化させる女性の力が、グレーテルの勇気と決断の象徴のように感じる。

継母に捨てられて、森の中でさまよっていた時のグレーテルは、とてもか弱く幼い妹だった。

兄のヘンゼルは、なんとか助かろうと、森の中で、パンくずをちぎっては落とし、目印にした。

結果パンくずは、鳥に食べられてしまうのだけれど(これは女が男の力に頼りきっているだけでは、共倒れしてしまうことの象徴かもしれない)、命の全権を担っていたのは、ほかならぬ兄のヘンゼルだったのだ。

だけども、最後、兄の命を救ったのはグレーテルだった。

彼女こそが、グレートマザーを殺して、本当の自分のパワーを取り戻したのだった。

ヘンゼルはか弱かった妹のグレーテルによって、命を救われて、二人は家に戻る。

戻ったら、あの意地悪な恐ろしい継母は死んでいた。

つまり、魔女というグレートマザーの元型が死滅することで、同じ元型で結びついていた継母も死んでしまったのだ。

それまで不在だった父親も、子どもたちの帰還を喜んで、3人は仲良く暮らした。

というのが、ストーリーの全容だ。

グレートマザーの撤退によって、家族が本来の愛の形を取り戻したのだ。

グレートマザーを超えていく。

そこには、グレートマザーに支配された母親のいい子ちゃんも、傷ついた息子の姿もない。

子どもたちは、親の脅威を超えて、成熟を遂げたのだ。

女性たちは、自分の貪欲なエゴによって、生み出しては、死にいたらしめる極端な二極性を超え、受容性と生命の存続、そして、創造性の発動へとシフトする。

男性たちは、肥大化した母性という呪縛から解き放たれ、聖なる女性性によって救われ、不在から、存在することへシフトする。

小さな子どもである自分を超えて生きる時、そんな可能性があることを、この物語は教えていくれているのだと思う。

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川村イーシャ

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ヘンゼルとグレーテル・その2〜傷ついた息子と母親のいい子ちゃん

glass-window-632313_1920肥大化した母性は、すべてを飲み込みコントロールする。

生命の源である母は、生み出し、包含し、呑み込み、消滅させるという、生と死を操る存在なのだ。

グレートマザーを前にした時の最大の犠牲者は、息子たちだ。

彼らは、男であることを根こそぎ否定される。

できない息子。

かわいいぼくちゃん。

傷つきやすく弱い男。

男たちは、グレートマザーたちに世話を受けることで、徐々に自分のパワーを失っていく。

忘れたくないのは、グレートマザーの力が、このように肥大化するとき、そこには、不在の男性である夫があるということだ。

彼女たちもまた、傷つき不在になった夫たちの穴を埋めようと、躍起になっていたんだろう。

女性たちの多くが「大切なときに男はいない」という共通した思い込みを持っていることが、そのことを表している。

こうして、グレートマザーの過剰な愛情によって、パワーを奪われる息子たちは、自分を心理的に支えてはくれない不在の父親という透明人間を模範としながら、同一化して、成長していく。

結果、息子たちは成熟した男にはなれず、傷ついた息子のまま大人になる。

永遠の少年という元型がそれを示している。

永遠の少年は、決してコミットしない。

楽しそうなものを次から次に渡り歩きながら、作り上げることをしない。

しないのではなく、できないというのが本当のところかもしれない。

自分自身に、確かな信頼とそれによるアイデンティティ(=健全な自我)がないことが、このことを無意識に生じさせる。

結果的に、この永遠の少年たちは、自分が作り上げた家庭の中でも不在となる。

そして、それを補うかのように、彼の妻の母性は肥大化し、子どもたちを飲み込んでいく。

肥大化した母性は、子どもたちを餌食にして、自分の内側にぽっかり空いた穴を満たそうとするのだ。

だが、どれだけ子どもを飲み込んでも、その穴は満たされることはない。

彼女自身が、健全な自我を取り戻し、自分を自分の愛で満たすまでは。

そして、それが叶えられるまで、息子は傷ついた息子のままの永遠の少年として生き、娘は、母親のいい子ちゃんになって、他者に合わせて返事をし、自分の意見を持たなくなる。

時に、母親に反抗したり、母親を助けようとしたりもするが、それは、すべてパワーを奪われ、また、奪われることを許してきたための「アイデンティティの欠如」から発生している防衛なので、本当の自分の選択とは言えない。

防衛しているうちは、結果的には何者かにコントロールされていて、自分では何一つ選んでいないのだ。

このようにして、傷ついた息子、母親のいい子ちゃんたちの人生は、不在の父親と肥大化した母性によって、汚染されていく。

子どもたちの基本的にニーズである、守られ、愛されるという土台は、全く形成されないままに。

つづく

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川村イーシャ

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ヘンゼルとグレーテル・その1〜不在の父性と肥大化した母性

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誰もが知っている有名な童話、ヘンゼルとグレーテルについての河合隼雄氏の解説は、素晴らしい。

以下、氏の解説を参考にしながら、インナーチャイルドや父性や母性のエネルギーについて、書いてみたいと思う。

おとぎ話が、単なる物語ではなくて、人の心の元型について語られているというのは、最近ではよく知られている事実かもしれない。

日本では、まさに河合隼雄氏がそのことの研究を深め、世に伝えた第一人者だと言える。

氏の残したたくさんの著書は、偉大な宝だ。

そして、このヘンゼルとグレーテルという物語の中で語られていることは、インナーチャイルドの世界とも深く関係があることで、典型的な夫婦のパターン、親子のパターンであることが、氏の解説から鮮明に浮かび上がってくる。

これまで、多くの男性たちは家庭の中で不在であった。

イクメンという言葉が出始め、また、男性たちが古臭い男性像を卒業し始めてから、少しずつ、男性は家庭の中に姿を現し始めているのかもしれない。

だけど、長い間、男性たちは、やはり、家の中に不在であった。

それは、物理的に、精神的にという両方の側面があるが、状況としてより複雑な事態を引き起こすのは、精神的に不在である場合だろう。

目の前に父親がいないという物理的な不在は、理性で受け止めることができる。

「父はいない」というシンプルな事実だ。

そこに、「父はいない、だから、父に愛されていない」という余計な思い込みが、必ず発生するわけではない(もちろん、発生することもある。)。

だけども、物理的には目の前に存在するが、その父親は、精神的には家庭の中におらず、実体がない・・・という場合、むしろ、子どもたちは混乱してしまう。

「父はいるが、私は無視されている、つまり、私は愛されてない」という思い込みは、むしろ、精神的に不在の場合に生じやすいと言える。

では、どうして、男性たちはこんなにも「不在」だったんだろう。

現代においても、男性たちがとても生きづらいというのは明らかな事実だ。

戦争や狩りで戦って勝利し、命からがら戦利品を家に持って帰り、家族を養わなければならなかったのは、いつの時代も変わらないのだろう。

サラリーマンと呼ばれる男性たちだって、毎日満員電車に揺られて、企業戦士として戦って、その戦利品という給与で、妻と子を養っているのだ。

どれだけ傷ついても、どれだけ誰かを傷つけても、そんなことは気にしてはいられない。

男性たちの多くは、戦争でも、仕事でも、自分の感覚を麻痺させながら、なるべくその痛みや苦しみを感じないようにして、戦いを乗り越えてきたのだろう。

今でも、感情を扱うワークに、男性が参加することは非常に珍しいという事実は、残念だけれど、このことを如実に示していると思う。

ところで、「戦争」と一言で語るとき、そこには、どんな一人の男の人生があったのか、また、その妻や子どもたちにはどんなことが起こっていたのか、簡単には推測ができない。

「戦争は辛かった」「二度と起こしてはいけない」と誰もが語っているけれど、戦争の被害が今このときも、まさに、この高層ビルが立ち並び、数分に1本の電車がやってくるこの現代でも、ありありと存在していることを、ほとんどの人が知らない。

だけれども、家族の座(ファミリーコンステレーション)という家族療法を体験すると、そのことは、明確に理解できる。

戦争は、一人の男の人生を壊し、家族の人生も汚染していった。

つまり、日本人の命は、戦争によって、目に見えない形で二度目、三度目の破壊を受けた。

これは、何も第二次世界大戦ではなくて、それ以前のすべての戦争も含むだろう。

戦争だけじゃない。

飢饉や地震など、その時代、その時代においての様々な不幸が、一人の人間の人生に多大な影響を与え、それによって家族が犠牲になり、それが無意識に家系にゆずりわたされてきたのだ。

最近の研究によって、恐れの感情が遺伝することが、マウスの実験でわかったのだという。

このようにして、様々な不幸が世代で生じ、そのときの感情が未解決の場合、下の世代に譲り渡されてしまうのだ。

そして、それは、完全なる無意識の状態で起こっている。

いつも、ここが問題だ。

それは、意識的ではなくて、無意識的に生じているのだ。

さて、その大きな犠牲となった男たちだけれど、なんとかかんとか家庭を守ろうとしてきた。

そうして、無感覚になったり、恐怖の抑圧のために、暴力的になったりして、妻や子どもたちは、この犠牲者である男によって、また犠牲者となった。

つまり、それらは、男性たちの愛によって生じてしまった。

それは、間違った形の愛だったかもしれないけれど。

そんな無意識の負の連鎖が続く中でも、やはり希望はあった。

無意識の影響をなんとか最小限に食い止めてきた家系に生まれたのか、いや、むしろ、家系のカルマとは無関係に、神が天使たちを遣わしたのか、意識的な新しい世代たちが、新しい生き方を提案し始めたのは、ほんの最近のことだろう。

持続可能社会を目指して、声をあげる若者たち。

仕事をすぐに辞めると言われる若い世代だけれど、それも、当然の流れなのかもしれない。

無感覚で、支配的で、暴力的な男性であることは、全くクールではない、一つの会社に縛られて、自分を麻痺させて無気力で生きていくのは、自分たちにとって全くハッピーではないと、男性たちが気がつきはじめている。

こうして、男性たちは、少しずつ本当の自分の感覚を取り戻しながら、不在という立場を離れ、家庭に戻りつつあるのだろう。

だが、それも、まだ、全体でみれば、少数派なのかもしれない。

多くの場合、男性たちはまだ物理的、精神的に家庭に「不在」で、それ以外の家族たちは、そのバランスを取ろうとして生きている。

いや、このことを語ろうとすると、むしろ男性の「不在」そのものも、何かのバランスを取っているのだと言える。

それは、何だろうか。

男性不在というエネルギー欠如の隣にあって、完全な状態で、それを維持しバランスしているのは、肥大化した母性だ。

生み出し、飲み込む、生と死を司るグレートマザーという心理の元型がそれだ。

女こそが、生命の源で、男も女も、女から生まれるという生命の原理に従えば、不在の男性よりも前に、この肥大化した母性という脅威があったのだと言える。

息子の力を飲み込み、ないものにしてきたからこそ、男性の不在が生じてきたのだ。

そして、今も昔も、女性たちは、無意識的に、このグレートマザーに足元をどっぷり囚われてる。

つづく

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愛のゲート

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勝手ながら、8月は不在となる期間があります。
詳しくは以下をご確認ください。

【重要】不在のお知らせ


私たちは誰もが

すべての中心である愛を

この世に届けるゲートとして

存在している

 

愛は

その源から

私たちに流れ込み

私たちの存在を通して

この世に具現化される

 

私たちが

自分自身を愛で満たすとき

愛は

自然に外へ溢れ出て

世界に届く

 

グレーがかった世界で

なんとなく生きているときも

絶望のどん底にあるときも

あなたが愛のゲートであることを忘れないで

 

愛こそが

魂の望む方向だから

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私たちは愛のゲートで

自分も世界も

愛であることを

知っているんだから

 

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私の愛が鏡に映る

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勝手ながら、8月は不在となる期間があります。
詳しくは以下をご確認ください。

【重要】不在のお知らせ


めぐるエネルギーの中で

「I love you」って伝えたら

それは、私に容赦なく戻ってきて

自分の愛を受け取った

 

私の愛が鏡に映る

 

まっすぐで

ピュアで

濁りのない光

 

そこに在るのは

私自身だと

存在が私に告げた

 

いいえ

私たちは

個別の人間で

こんなにも悲しく

分離しているのだと

涙が存在に訴えた

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そうです

目の前の人は私ですと

ハートは

愛にひれ伏した

 

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*7/27(木)開催!タッチユアハート〜内なる子どもとの出会いby Zoom
スクリーンショット 2017-06-28 0.30.567月27日(木)10:00〜13:00(予定)
講師:川村イーシャ/オーガナイザー:アニータ
参加費:6000円(一般)・5000(受講生)・2500(セラピスト養成講座)
参加人数:7名まで

開催は「ZOOM」で行います(pc.iPadやスマホでインストールをお願いします)
申し込みフォーム

東村山クラス以外は、オープンクラスですので、1回からの参加が可能です。

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あなたが誰かに見ているもの

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勝手ながら、8月は不在となる期間があります。
詳しくは以下をご確認ください。

【重要】不在のお知らせ


あなたが、誰かに見ているものは

全部あなたのもの。

だから、そのことがわかれば

あなたの欠けたピースがまた埋まるから

おめでとう、って言いたいね。

そのことがわからないまま

それは相手のものだと言い続けていたら

あなたの中にある

無限の可能性が閉ざしていくから

神様は、もっかいどこかで

それを学ぶチャンスをあたえてくれるよね。

どっちにしたって、大丈夫。

練習していけば、大丈夫。

必ず、わかるようになるから。

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19だって、魂は、

いつだって

無限の可能性と

愛という真実に向かっているのだから。

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うつむく子

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【重要】不在のお知らせ


インナーチャイルドという言葉は、広く知られて

今では一人歩きしているけれど

一度も、自分のインナーチャイルドに出会ったことのない人が

インナーチャイルドについて語っている時

その人の内側のインナーチャイルドは

確実に傷ついていることを知ってほしい。

チャイルドは、理論で理解する存在ではなくて

感じて、出会っていく存在だから。

その人の心の奥に忘れられたままの子が

自分に対する理路整然とした知識を聞いたなら

どう感じるだろう。

「そんなものは、何一つ真実じゃない!

私は

僕は

ここにいるよ!」

そう声をあげるかもしれない。

だとしたら、まだその子は救われるだろう。

もっと困難な状態は、

その子が、うつむいて口を閉ざすとき。

IMG_20170525_190119もう、自分の真実を感じてもらうことはないのだと

知ったかぶりの親を前に

自分の存在を隠してしまうとき。

 

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