カテゴリー別アーカイブ: Isha BLOG

情熱の方程式

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受講生さんへのレポートの返事を書きながら、気がついた事。

もしかしたら、多くの人に、このことが生じているんじゃないだろうか!?って。

というのも・・・

もしも、私たちが、幼いころに自分のエネルギーの使い方を間違ってしまっていたとしたら、その使い方の方程式が心と体に染み込んで、私たちは大人になってもその方程式にしがみついてしまう。

そのことが、私たちと情熱の間にどんなこと生むだろうか?

もし、私たちが、幼いころに、親や教師から、頑張ることを強いられてきたら・・・

そして、本当はやりたくないことも、頑張ってこなしてきて、それこそが正しい生き方だと思ってきたとしたら・・・

頑張らなくてはいけないっていう熱が、内側から無理やり引っ張られて、それは、情熱ではなくて、自分を奮い立たせるような無理強いになってしまうだろう。

その時、その人の方程式は、こうなっている。

「嫌なこと+頑張る=正しい」

そうすることで、評価されるのだから、その人は、この方程式で成功したと感じてしまう。

とすると、その人は次の方程式に混乱する。

「好きなこと+頑張る=???」

つまり、好きなこと目の前にすると、その人は、何もできなくなってしまう。

そんなとき、まずは、過去の痛みにしっかりと向かい合うこと。

つまり、過去の方程式ができてしまった時点に戻って、そのことを明らかな目でみていることが大切。

それが出来ないとき、この新しい方程式は人生に入ってこない。

もし、この過去の方程式で生きているとき、きっとその人は、その痛みを隠すためのなんらかの依存症を持っているはずだけれど、多くの場合、自分の依存症には気がついてない

それが重篤なものか軽度のものかわからないけれど、痛みの大きさに比例するように依存症の度合いも重篤になる。

だから、やりたいことをやれるようになると、この依存症は超えていけるのは当然で、止まっていたエネルギーが循環するから、体はますます健康になる。

本当の健康っていうのはこのこと。

だから、心身ともに健康でいられるのは次の方程式。

「好きなこと+情熱=喜び」

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19いつも、この方程式を忘れないでいたいね。

Pranava Life
川村イーシャ

 

 

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情熱とスペース

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物事を起こすには情熱が必要だと言われるけれど、本当に情熱だけで物事は起こるのだろうか?

情熱があるのは素晴らしいことだけど、それだけだと、独りよがりの情熱だけで膨れ上がって、誰とも関わることができず、物事は何も生じないことがあるのを何度も目の当たりにしてきた。

やりたいことはあるのに、形にできない。

やりたいことなのに、なぜかやりたくなくなってしまう。

そんなときは、自分にスペースを作る必要がある。

情熱が、自然に心地よく流れていくスペースがなければ、真っ赤に燃える情熱で、自分自身が火傷をしてしまうことだってある。

そのスペース作りの手法はたくさんあって、それがPranava Lifeが提供しているワークでもある。

ワークの中で、私たちは、特に情熱にフォーカスすることはしない。

なぜなら、本来情熱を持っていない人などいないし、それは初めから私たちのハートにしっかりと在るものだから、情熱を沸き立たせようと、躍起になることも、自分を無理に奮い立たせることも必要ないからだ。

私たちの内側にスペースが生まれたとき、情熱は、自然と湧いてくるものだから、私たちはまずスペースを広げることを学ぶといいと思う。

だから、やりたいことがないとか情熱がない・・・っていうのは、その人の本質ではなくて、感情がたくさん抑圧された先に生まれるスペース不足の症状だってことがわかる。

そして、またその逆で、スペースがないまま、情熱だけが先にあって、真っ赤っかに燃えたぎっているとき、実はそれはエゴのエネルギーだってことがある。

承認欲求・・・などなど。

とはいえ、それはそれでいい。

無謀でもなんでも、一度は、それを外に出してみたらいいと思う。そこから学ぶこともたくさんあるから。

そのまま外に出されたエゴイスティックな情熱は、きっと返り討ちにあってしまうのだけれど、それが起こって、意識的にそれを受け止めることができたら、私たちは、やっぱり内側にスペースを広げることができる。

その繰り返しでいいと思う。

完璧はないんだから。

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19ただ、自然の法則に従って、物事を起こしていくとしたら、まずは、スペース作りがとても大事。

あとは、自然と湧き上がってくる情熱に従っていたら、それは、最適に、心地よく、周囲に広がっていきながら、必要な事は起こってくる。

 

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川村イーシャ

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愛と仕事

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人の誕生から死までの成長の心理的な目的は、健全な自我の確立にあると言える。

それは、自分とは何者かという意味のアイデンティティも含んでいる。

フロイトは、アイデンティティにとって大切な2つの柱を、愛と仕事と定義した。

ここでいう仕事とは、給料を得る仕事に限定されるものではなく、誰かとの関わりにおける自分の役割のこと。だから、母親業でも主婦業でも、ボランティアでも、誰かとつながり、役に立っているという感覚があれば、それは、ここで言うところの仕事だとわかる。

また、愛というのは、言葉通り、その人の愛の関係のことで、家族や恋人など、関係性における充実した愛の状態。

ところが、実生活の苦しみから逃れようと、遠くにある理想を目指しながら、健全な自我のあり方を飛ばして、崇高な自己を一気に目指そうとすると、実生活では、何一つ成長を味わえない状態に陥ってしまう。

このパターンにあるとき、人は、中毒性の恥(シェイム)と向かい方がわからないので、自己都合によってマインドで結論付けてしまい、内的なエネルギー回路をさらに複雑にしてしまう。

そういう場合は、大体にして、愛と仕事において、自分らしくない状態にあったり、不完全さを感じていたり、身体症状として何かの不調を感じている場合が多い。また、ミッションを生きてはいないのは当然ながら、家族関係も機能不全を起こしていて、健全とは言えない状況にあることも少なくない。

痛みをありのままにとらえず、都合よくマインドで結論付けてしまうから、結果として、痛みが治癒することはなく、見せかけの幸せで上塗りされていっているような状態なのだ。

忘れてはいけないのは、自己という光をキャッチするためには、健全な自我という受け皿が必要だということ。

誰かと関わりながら、愛を分かち合い、自己価値を感じられる状態が、この健全な自我にある状態だ。そんな状態にあるとき、その人の愛と仕事にまつわるあれこれは、とても充実した状態にある。

大切なことは、それが人の成長の終着点ではないということ。その自然に開いた喜びの中にある自我の場所に、崇高な自己の光が降りてくるのだろうと推測する。西洋問わず、伝統的な霊性探求の道では、そのことは常に語られてきている大切な理解だ。

インナーチャイルドワークとは、西洋で生まれた手法で、フロイト、ユング、交流分析などの考え方をベースにし、また、退行催眠や表現アートの手法を用いた現代的なメソッドだけれども、まさに、健全な自我の形成を促し、その先の自己の光につながろうとする、現代人のための現実と霊性の和解のワークとも言える。

ワークのプロセスを通して、私たちは、徐々に成長と変化を体験していく。それは、一時的なものではなく、また、誰かや自分を深く傷つけながら、戦車のように前に進み続けるような類のものでもなく、ただ、自然に花が開くように起こる。

その自然に咲く花のような、木の実が熟して落ちるような成長と変化こそが、私たちの自然な自己とつながった自我の在り方だと感じる。

欲を捨てる、役割を手放す、天に委ねる・・・というのは、きっと、私たちが、この愛と仕事を通して、健全なアイデンティティを形成した後に訪れる、自然発生的な出来事なんだろう。

つづく・・・

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【重要】不在のお知らせ

10月13日(金)〜23日(月)まで、研修のため不在にいたします。

その前後のメールのお返事が遅くなりますこと、また期間中のメールのお返事ができませんことを、ご了承ください。

また、個人セッションのご予約は、10月分は締め切っています。11月分からご予約いただけます。

ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞ、宜しくお願いいたします。

Pranava Life presents
Isha Inner Wisdom
川村イーシャ

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意志の矢は、ハートの大地に降りて立つ

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週末に2daysのグループワークが終了し、週を開けた火曜日に、1年間の横浜コースが終了した。

本当に素晴らしい時間を、かけがえのない魂の友たちと過ごせたことを、とてもとても嬉しく感じている。

この喜びはあまりにも大きくて、どうやって表現したらいいだろうかと思うほど。そのまま文章にはできないし、きっと写真や動画にも全てが映り込むことはないような気がしている。

ワンダーチャイルドと一緒になった最高の時間!

ワンダーチャイルドと一緒になった最高の時間!

だから、少しずつ、この感動を伝えていけたらいいなと思っている。

2daysワークでも、横浜コースの最終日でも伝えた大切なことがある。

私たちは自分の意志で、人生を選択し創造することを望んでいる。

だけど、そのように生きている人は非常に少ない。

私だって、目の前の選択が、本当に本当の自分の意志によるものかと問われたら、ただ、立ち止まって目を閉じて内側に入ってみるしかない。

私たちは、本当の意志というのをすぐに掴むことは難しいからこそ、今この瞬間の自分にいつも正直であるしかない。

やりたいこと、したいこと、それがエゴのものでも、どれだけ些細なことでも、なんでもいいから、自分の欲求に忠実であることしかできない。その繰り返しの先に、真実の自分を生きている瞬間がやってくるのだと思う。

だから、私は、誰かにも自分にも、あることをよく尋ねる。

「それは誰の選択ですか?」

「あなた(私)の中のどんな人が、その選択をしているのですか?」と。

大抵尋ねられた人は、びっくりして黙り込んでしまう。それもそのはず、その選択した自分は無意識に潜んでいて、顕在意識ではもっともらしい理由をつけているのだから、どんな自分が内側に潜んでいるかを、すぐに理解するのは難しいのだ。

だけど、少しずつその質問の答えを掘り下げていくと、その選択が全く自分の本質からのものではないと知って、驚いてしまう。

こんな風にして、私たちは、本質的な自分のものではない、偽りの自分に選択権を譲り、なんとなく日々をやり過ごしている。

多くの人は変わりたいというけれど、変わるのは怖いと深い場所では思っている。だから、なんとなく宙ぶらりんで輝いていない今を生きる方が楽だし、いつも未来をみていて、今に満足はできていない方が自分らしいと思い込んでいる。

そして、人は、いつも戻ってしまう。古く、懐かしい、住み慣れた、喜ばない自分の場所へ。

そして、再び「いつの日か・・・」という未来を見ながら生きるマインドゲームを始めてしまうのだ。だけど、待ちぼうけをしている間は、その「いつか」は、決してやってこない。

そんなことを繰り返しているとき、多くの人は、自分のその行為の原因となる根っこに気がついておらず、「自分がいつまでたっても自分らしくあれないのは、自分が無気力だからだ」という。また「自分は勇気がなくて弱い人間だから、意志を持てないのだ。」と説明する。

だけど、そこに大きな勘違いあることを知っておくといいと思う。

無気力というのは、感情が抑圧されている抑うつ状態であって、決して気力がないから生じているのではない。むしろ、出すものを出していないから生じている症状だ。

意志とは、この世に生まれている人間なら誰もが持っているもので、私たちは、この意志、すなわち魂のミッションがあるからこの世界に降りてきている。だけれども、その崇高なミッションを、自分だけにしかできない仕事を、この世界で形にするためには、その意志を受け取る器が必要となる。本来、意志のない人など、どこにもいないのだ。

だけど、天から放たれた意志の矢を立たせるための大地が、泥沼だったり、干からびていたり、しっかりと安定していなければ、その矢は、地上にはおりてこれないし、降りてきてもそこで倒れてしまう。

つまり、勢い良く降りてきた意志の矢を、しっかりと受け止められるだけの豊かなハートの大地がなければ、それは、この世では形にはならないのだ。

多くの人はミッションを知りたいという。

なんのために生まれてきたのだろうか?と、いつも問いかける。

そして、なんらかの答えが出てくる。

自分の内側からの答えかもしれないし、有能なヒーラーやチャネラーに聞いたのかもしれない。

それが、どれだけもっともらしいことであったとしても、ほとんどの場合、それだけでは不十分だ。

そのミッションという天から降りてきた神聖な矢を、私たちは、ハートの大地に降ろすことができるのかが、鍵となる。

意志は誰にでもある。

むしろ、ハートの大地さえ耕していたら、そんなものは、誰かに聞かなくても、求めなくても、自然に降りてくる。

等身大ではないあまりにも遠い先の目標ばかりを見ている場合も、いつの日かを夢見る傷ついたチャイルドの防衛であることがわかれば、今この瞬間に、私たちはもっともっと喜んでいられる。

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19そして、その場所にこそ、意志の矢は降りて立つのだ。

 

Pranava Life
川村イーシャ

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9/24(日)@花杏路(逗子市)こころとつながる勉強会〜インナーチャイルドWS イントロダクション&初級

10/31(火)はなひらくvol.2〜歌い、踊る、喜びのひととき

【初級集中特別編】オンラインコース by Zoom〜ハートエデュケーション

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健全な自我〜溶けたマシュマロ

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前回からの続きだけれど、「西洋のセラピーが日本人に作用しない理由」という記事のタイトルには驚かされた(正確なタイトルではないかもしれない)。確かに、セラピーの多くが西洋諸国で開発されている。
 
日本で生まれた有名なものはレイキだけれども、それですら、戦後、欧米からの逆輸入という形で日本に入ってきている。
 
私が提供しているインナーチャイルドワークや、現在トレーニング中の家族の座(ファミリーコンステレーション)は、西洋で生まれたものだ。

現在日本でなされているインナーチャイルドという用語を使ったヒーリングの多くが、その大切な理論の部分が省かれて、誘導瞑想的な技としてのみ提供されていることを懸念している。
 
実は、インナーチャイルドワークは誘導瞑想だけでなされる技ではなく、むしろ、その背後にある理論が非常に重要であることは、クラスに参加されている人たちは誰よりも理解されているのではないかと思う。
 
そこから体験していく内なる世界の神秘は、この理論の土台があるからこそもたらされるのであり、実生活にとてつもなく作用するのだ。

話は戻り、私は日本人であって、日本人のマインドを持っているけれど、ワークはジョン・ブラッドショーをはじめとするインナーチャイルドワークの基礎的理論をそのままお伝えしている。

だけれども、その理論は、インナーチャイルドワークだけにはとどまらない。というよりも、とどまることができない。なぜかって、インナーチャイルドワーク自体が、それ以前の、フロイト、ユング、エリックバーン(交流分析)、ミルトン・エリクソンなどの考え方を元に構築されたものだからだ。ちなみに、Pranava Lifeのインナーチャイルドワークには、今後、家族の座(ファミリーコンステレーション)の考え方が入っていく予定。

それらは全て西洋のものだけれども、多くのクライアントさんたちの体験から証明されているように、日本人である私たちにも、とても素晴らしい結果が報告されている。

比率でいくと、全体の約15%の人たちが、途中何らかの理由で学びをストップされてきたという事実があるけれど、逆にいうと、残り、85%の人たちは、そこに効果や変化、喜びを感じながら、クラスを修了されてきた。
 
これで、効果がないなんて言えるだろうか?
 
だけども、私もスタッフも、また、参加者さんも、理解している大切な事実がある。
 
それは、インナーチャイルドワークとは「健全な自我」を構築するためのワークであるが、私たち日本人は、そもそも自我というものの輪郭を失っていたり、文化的社会的刷り込みによって自我を構築することに抵抗があるために、そのことの意義に気がつけないということ。また、無意識に、それを恐れているのだということ。

だから、心地よくなる類のインナーチャイルドのイメージング療法は受け入れられても、健全な自我の構築のための理論は、受け入れられにくい現状がある。
 
インナーチャイルドという言葉が流行ったのはちょっと前で、それは、今ではセラピー業界ではとっくに知られた概念というイメージがあるけれど、実は、このワークは、その意味で、まだ、ほとんど日本では知られていないと言えるのだ。

そんな日本人としては革新的なことに、果敢に挑戦し続ける私たちは、スタッフも、参加者さんたちも、勇敢としかいいようがない!
 
だから、参加者さんたちには、このことが、周囲に理解されにくくてもどうか気にしないでほしいと伝えている。

だけども、考えてもみてほしい。

「強みはさらに楽しく伸ばしていって、弱みは分析してそれを補っていくこと」が、人にとって大切な成長のプロセスだとすると、自我が弱い私たち日本人にとって、健全な自我を育てることほど大切なことない。

いや、むしろ、これを通過せずして、私たち日本人が、どこへいけるというのだろうか?

暗に自我を持つことを禁じられてきた私たち日本人は、個であることを自覚することでこそ、広い視野を持つことができる。

女性性について言えば、受容性や許しの側面ばかりにフォーカスが当たるけれども、インナーチャイルド的視点で言えば、「父性の不在と、肥大化した母性」という理解は重要で、「呑み込み、死にいたらしめる母」というグレートマザーの側面を理解することなく、受容性や許しの母性について語っているとしたら大きな誤解を生じさせている危険性がある。

日本人の意識は、この肥大化した母性(グレートマザー)の下に入り込んでいて、そのゆがんだ母性の視点から、父性や、憧れのきらびやかな女性性を語っていることが多い。だから、まずは、肥大化した母性の姿をしっかりと捉えて、そこから立ち去り、個を生きる女性性の視点を入れておくことだ。肥大化した母性の下で語られる女性性の理論は、輪郭を失い溶けたマシュマロになることと同じだ。もはや、それは、マシュマロですらなくなって、その美味しささえも失ってしまう。
 
日本人である私たちにとって自我とは何かを明らかに知ることなく、セラピーを有効に作用させることは難しい。気持ちよくなるだけのワークばかりを受けているとしたら、むしろ、その中で、自我は、さらに混乱しはじめる。

大切な目安は、人生において、体、心、人生の意図(魂)は、協力しあっているのだろうか、ということだ。
 
それとも、それらは、バラバラで、足並み揃わず、互い違いにエゴイスティックな主張を繰り返しているのだろうか?
 
健全な自我なくしては、魂の意図に沿うことは難しいのだということを忘れたくない。
 
そして、健全な自我の土台の上に、自己という光が差し込むのだという賢人たちの知恵が、このワークを支えてくれていることに、深く感謝したい。

Pranava Life
川村イーシャ

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健全な自我〜日本人にとっての女性性

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女性性の時代であることが広く知られるようになってきた。
 
2000年からの水瓶座の時代では、それまでの魚座の男性性の時代から、女性性の時代へシフトしていくのだという。
 
まだ、私たちは、その過渡期にあるため、魚座時代の生き残りたちが世界を牛耳っているわけで、輝かしい女性性の時代の繁栄がやってくるのはまだまだ先なのかもしれない。
 
けれど、小さくても確かなムーブメントが起こっているのは確かだ。
 
10年後、30年後には、もっともっと、このムーブメントは大きくなっているにちがいない。
 
女性性とは、あまりに多種多様なもので、一言で語ることはできないのだけれど、一つだけ言えるのは、人によって、文化によって、国によって、それ以外の様々な背景によって、取り戻す必要のある女性性の側面も変わるのだということ。
 
その意味で、私たちは、360度、自分を見直しながら、一つずつ、自分の女性性を受け入れていく必要がある。
 
その考え方からいうと、女性性とは、受容や許し、はたまた、過剰に性的であることなどが取り上げられるけれど、分析していけば、それがすべての日本人に必要な女性性とは言えないし、むしろ、日本人にはまた別の側面が必要だと言える。

日本の歴史や文化を調べていけばわかるのだけれど、日本は、長い間、女性原理の考え方に支配されてきた。家では男子が生まれることを望まれ、男尊女卑の社会だったというけれど(今でも少なからず)、それでもやっぱりそこには女性原理が宿っていた。
 
ユングの考え方に基づくと、男性性とは切断し、分類する力であり、独立、主張、個であることを推し進める力であると言える。

そして、女性性とは、呑み込み、受け入れ、個を必要とせず、集団となり、一体化させる力と言える。

日本人がNOと言えないのは世界中に広まった事実になってしまったけれど、西洋社会の美徳が個であることであるのに対して、日本社会では集団であることがまだ美徳とされていることは否めない。

つまり、自我を持たず、集団に合わせて決断し、行動し、共通の概念に従うことを美徳とする日本人の生き方は、女性原理に基づいてきたのだ。

だとしたら、私たちに日本人にとって必要とされる女性性とは、西洋のものとは異なる側面を持つのは明らかだ。

個であることばかりが重要視されて、共感や他者とのつながりを感じにくい西洋社会においての女性性が、受容性や許し、つながりを重要視するのだとしたら、個を持つことを暗に禁止されてきた(暗にというのも女性的な陰の側面だと感じるが)私たちにとって必要な女性性とは、決断し、個を生きることだと言える。
 
セラピー業界でも同じことが言える。ちょっと前に、SNSで、こんな風なタイトルの記事が回ってきた。中身は見ていないから詳細は書けないけれど、タイトルは「西洋のセラピーが日本人に作用しない理由」というようなものだった。

つづく

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「セラピスト」10月号掲載

therapist1「セラピスト」10月号で、クラスの取材をしていただきました。

記事は、女神ワークの師匠である、Tarikaの連載「内なる女神に出合う旅」に掲載されています。

今回の記事は、仕事を助ける女神の質について書かれていますよ

資格はとったけれどどう仕事にしていいのかわからない方、また、セラピストとしての活動を目指している方にもおすすめの内容です。

therapist3記事の中には、私自身の体験談をも書いてあるので、ぜひ参考にしてみてくださいね

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川村イーシャ

 

 

2つのよろこび

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本日のインナーチャイルドオンラインコースの上級は、「中毒性の恥」(=Shame)についての学びだった。

この言葉は、イントロ、初級、中級と、ずっと出てくる言葉なのだけど、章として学ぶのは上級に入ってから。

それくらい、このことを理解するためには一通り自我についての理解が必要で、その理解の軸に沿って、Shameを改めて覗き込んでみる、、、というのが、上級で学ぶ章の構成になっている。

ところで、この中毒性の恥は、中毒的行為と振り子関係にあるのだけれども、中毒的行為とは、何も法に反したり、体を壊したりするような重篤なものばかりではない。

実は、日常に、この中毒的行為がたくさん潜んでいることには気が付いておいた方がいい。

あらゆる行為、あらゆる瞬間に、意識的であれば、それが中毒的行為なのか、本当の自分の意志による行為なのかは一目瞭然だ。

その意味で、実は、よろこびや快楽という人を心地よくさせるものも、この2つ、つまり中毒的よろこびか本当の自分のよろこびかに分けられる。

前者を「つかの間のよろこび」で、後者「いまここのよろこび」として、書いてみたいと思う。

「つかの間のよろこび」とは、私たちの渇望感とイコールになっていて、人は、これをターゲットとして行動する。「これがなければ自分は不足している」と感じたり、またはこれがやってきた後に再び不足してしまうことへの不安を感じたりする。つまり「つかの間のよろこび」を狙って行動しているとき、その人の人生はShameにコンタミ(汚染)されていて、不足感から行動しているということになる。結果として、私たちは、不足感へと戻ってしまう。

「いまここのよろこび」というものは、ただ自然と湧いてくるものであり、これを感じられるとき、人はこれをターゲットとして行動はしない。「いまここのよろこび」は自然に満ちてきて、ただ、それを味わっている状態にある。だからそれがなくなるという不安もなければ、それを狙って行動することもない。「いまここのよろこび」は、あまりにも自然で、毎回微細に違うものであるし、そこに執着することもできない。海の波が一度たりとも同じように押し寄せてくることがないように、「いまここのよろこび」も、決して同じものはない。

スクリーンショット 2017-07-19 10.09.19さて、私たちは、どちらのよろこびを感じがちなのか。

「つかの間のよろこび」が悪いわけではなく、それすら、意識的に選択しているならば、ありのままの自分だと言えるのかもしれない。

その意志的なあり方の連続の先に、真実のよろこびとは、執着するものでも狙うものでもなくて、ただ、自然にやってくる「いまここのよろこび」なんだと、理解できるのかもしれない。

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黄金の鳥は木のかごにいれよ

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前回のヘンゼルとグレーテルの話に引き続き、再び昔話について語ってみたいと思う。

「黄金の鳥」という物語の中で、一人の王子が、黄金の鳥を捕まえに行き、それを狐が手助けするという場面が描かれている。

狐は、王子に黄金の鳥を捕まえるためのいくつかのアドバイスをするのだが、そのうち何度かは、王子がそれを聞かなかったため、困難な状況に陥ってしまう。

そのアドバイスの一つが「黄金の鳥を捕まえたら、きらびやかな金のかごではなく、必ず質素な木のかごに入れて持ち帰ること」という不思議なものだった。

王子は、黄金の鳥を見た瞬間そのあまりの美しさに、木のかごは不釣り合いだと思い、装飾の施されたきらびやかな金のかごに入れて持ち帰ってくる。

そして、結果、王子は捕らえられて、命の危機に瀕してしまうのだ。

このことは、昔話の単なる気まぐれなアドバイスかと思いきや、実は、人の心理の深みが描かれているのだと、日本で最初のユング派分析家である河合隼雄氏(1928-2007)はその著書の中で語っている。

そして、40年も前に書かれたその内容は、現代の癒し業界への警鐘のようにも感じられるのだ。

この物語は、王が大事にしている黄金のリンゴの実が盗まれるという事件からスタートする。

そして、それを盗んでいるのは、どうやら夜に現れる黄金の鳥だということがわかり、そのリンゴ泥棒の犯人である黄金の鳥を捕らえるために、王子が旅に出るのだ。

心理的象徴として、黄金のリンゴがなくなるというのは、現実に生じているなんらかの危機を示している。

また、その原因である、夜中に現れる黄金の鳥とは、潜在意識に潜むもの、例えばトラウマであったり、なんらかの思考体系であったりするわけだ。

だけども、同時に黄金の鳥は、ギフトを示してもいる。

つまり、それを、潜在意識の闇の中から拾い上げてくることができれば、現実に生じている危機も超えられるし、そこから新しい可能性も広がっていくというわけだ。

だけども、その原因である黄金の鳥は、質素な木のかごに入れて持ち帰らなくてはいけないのだ。

決して、装飾の施されたきらびやかな金のかごではダメなのだという。

なぜか?

つまりこれは、「どんな心の内側のものであっても過大評価したり、ポジティブシンキングによって飾り立てたりすることなく、ありのままを見よ」というアドバイスなのだ。

ただ、それを、そのまま、まっすぐな目で捉え、認識する。

それができなくては、せっかく捕らえた黄金の鳥も、むしろ人の命を危うくする。

つまり、潜在意識にあるものをきらびやかなもので包み、飾り立て、ポジティブシンキングで都合の良いものに仕立て上げることは、人を、癒しではなく、むしろ危機に追い込んでしまっているということだ。

まっすぐな目でそれを捉えることができないのは、恐れから発生している。

痛みを認識するのが怖いのだ。

そんなとき人は、自分や出来事を正当化し、問題をなかったことにしてしまう。

物事の考え方が悪かったのだと、自分を責めることもあるかもしれない。

そうして、潜在意識から顕在意識(目の前の事実)へ戻ってきたとき、そこには何が残るのだろうか。

おそらくそこにあるのは、何も変わらない痛みを伴う現実でしかない。

事実に向かい合わないやり方、つまり、こう思い込めば「痛くない」「苦しくない」とする、事実に砂糖をまぶしただけの一時しのぎは、現実を変えていくものではない。

1度や2度は、それでもいいのかもしれない。

ただ、それが継続していったとき、まぶされた砂糖の分厚さは、防衛の厚みと同じであることをわかっていたい。

つまり、それは、危険を増していく。

現実はさらに複雑化し、良いことをやっても、いい風に考えても、何も解決はしない。

なぜか想定外の痛みがやってきて、現実はいつも困難続きだ。

自分はそんな運命だからと諦めるのか、もしくは、その痛みも結局幻想だからと開き直るのか、どちらであっても、痛みに真正面から向かい合っている姿勢とは程遠く、それをやっているうちは、やはり、砂糖まぶしの防衛止まりだということを理解していたい。

つまり、このことは、ギフトを現実にもたらす、癒しと変容とは全く別物であることを、黄金の鳥の物語は、はっきりと私たちに伝えてくれているのだ。

 

黄金の鳥は木のかごに入れよ。

真実は、飾り立てることなく、ありのままに、まっすぐ捉えよ。

事実はただ、事実のまま受け入れよ。

そのとき、隠された宝が見えてくる。

 

それが、この「黄金の鳥」の物語に込められたメッセージなのだ。
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Pranava Life
川村イーシャ

 

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