カテゴリー別アーカイブ: 不定形発達育児記

不定形発達育児期6:発達障害の治療

この記事は、私の他のブログ記事と違って、思ったことを徒然に書いているので、時間軸もバラバラだし、当時の感情と事実と考察が、入り混じっているけれど、私にとっても発達障害の全容は未知であって、少しずつ記憶に光を当てながら書いていることをご理解いただきたいと思う。

結局これは、私たち夫婦と娘の辿った道なので、全ての人に当てはまるわけじゃないと思っている。

前にも書いたけれど、私たち夫婦は、現代医学が言うように、発達障害を障害だと一部捉えているが、治療法がないという部分には賛成しておらず、それは、治る、改善すると信じている。

そして、そうなった時、発達障害の人たちが持つ特徴は輝く個性に変わり得ると思っている。

だけど、そのためには、積極的な治療が必要だと思っている。

夫と私は、その意味で手を取り合っているが、治療法の選択については、意見が食い違っていることもある。

それは、食い違っているというより、その治療が好きか嫌いか、専門家との相性がいいか悪いかという、これも、夫と私の個人的感情の問題であるようにも思う。

我が家が娘の治療のためにやってきたことを、以下にあげてみたいと思う。

並びは順不同で、何から先にやったかは覚えているものと、そうではないものがある。

《発達障害治療として娘本人が受けてきたもの》
・七田チャイルドアカデミーの右脳教育(約1年)
・オステオパシー(計3〜4回)
・ホメオパシー治療(クラシカルで発達障害に的を絞って2年ほど受診。それ以前のプラクティカル利用歴は3年ほど)
・整体(歯科医でもあるクラシカルホメオパスの元で、4歳から、2年ほど)
・舌癒着症手術(4歳)
・ニキーチン教育的な発想での運動教育(幼少期にバレエを1年半ほど、小学生になってからは水泳と体操を4年、現在は本人の意思で水泳をやめて体操のみで5年目)

《日々の健康管理のために娘が受けてきたもの》
・アントロポゾフィ(担当医あり)
・ホメオパシー(自宅療法とクラシカル専門医による)
・アロマ(自宅療法)
・漢方(ホリスティック医療の担当医による)
・エネルギーワーク(レイキなど)

《親が受けたもの》
・各種セラピー、ヒーリング(多岐にわたるが、代表的なものとしてインナーチャイルドワーク、家族療法、先祖供養、過去生療法)
・ホリスティック治療各種
・瞑想
・座禅

記憶をたどりながら、書いてみたけれど、もしかしたら、漏れているものがあるかもしれない。

ここに書いたものがは、かなり効果的だったと感じたもの。

こうしてみると、私は、当時やれることは徹底してやってきたなと思う。

それくらい自分が必死だったということを思い出すし、娘のために働いていたといっても過言ではない。

私の収入のほとんどは、娘の治療のために充てられていた。

いや、もちろん、私自身が受けたセラピーやヒーリングは私のためでもあったのだけれど最初の2年くらいは、娘の治療が目的だったように思う。

娘のことなのに、《親が受けたもの》という項目があることに驚くかもしれないけれど、心理の世界で言われている通り、子どもたちの病気や様々な症状のほとんどは、親の心理状態と深く関わっている。

ある家族療法の専門家が、子どもの統合失調症の相談にきた家族に入院を勧めたという話は有名だ。

最近参加したグループワークでは、統合失調症は、必ず過去の家族の歴史と関わっていると聞いた。

私自身が提供しているセラピーでも、子どもの問題については、親自身のイシューに光を当てていくことが必要だと、繰り返し伝えている。

親が癒されれば、子どもたちは、自動的に癒されていく。

そして、子どもたちが癒されていくと、親自身もその癒しを受け取ることができる。

だけど、それができるのは、その用意のある親だけとも言える。

癒しを受け取る用意のない親は、十分に受け取ることができないかもしれない。

そうすると、結局、子を癒しても、やっぱり、同じことが繰り返される可能性があるのだ。

だから、原因と結果の法則的に言えば、結局、親が癒されることが先決だと言える。

つづく

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不定形発達育児記5:発達障害は増えているのか?

このブログのカテゴリー名でもあるように、不定形発達と定形発達という概念がある。

これを知った時は、親として、とても気が楽になった記憶がある。

というのも、ここには障害というレッテルがなく、定型発達が一般の育児書に沿った発達を遂げている人、不定形発達はそうではない発達を遂げる人という事実だけが伝えられているからだ。

この言葉には、心配の感情が入り込む余地がない。

子どもの自閉症の症状について調べていると、多かれ少なかれ、それが自分に当てはまると思う親は多いという。

我が家ももれなくそうだった。

自閉症のチェック項目に、私も夫も、それぞれチェックがいくつも入った。

私は、実は、娘の状態は、夫ではなく、我が家の家系からのものだと思っている。

親族の中に似たような症状が見られたからだ。

そして、私自身についても、かなり色濃くそれが現れているように感じている。

私は言葉の遅れがなかったから、診断を受けなかった。

娘は言葉の遅れがあったから、診断を受けた。

私は、表面上はコミュニケーションに遅れがなかったから診断を受けなかった。

娘は、目に見えてわかるコミュニケーションに遅れがあったから診断を受けた。

それくらいの違いであって、内的には、同じように私の中にも、娘の持つ不定形発達的質があったように思えた。

そして、それを実際発症している家族も、痛みが深い人たちであるのは事実だ。

だからこそ、どれだけ家族をかばいたくても、それが、家族の輝く個性だとは言えなかった。

家族の座(ファミリーコンステレーション)のワークと出会うと、家族を正当化する行為は防衛であると理解できる。

もちろん、インナーチャイルドワークでもだ。

暴力を受けた多くの人が、それをDVだと認識しないのと同じだ。

傷ついた内なる子は、愛する人が抱える問題をありのままに認識せず、美化することで、間違った愛のあり方を貫こうとする。

そうでなければ、相手を批判したり、否定したりするしかないし、そうすれば、その人の期待に応えられないと思い込んでいる。

それはできないからその人の暴力はなかったと思うか、自分が悪かったから仕方がないと思っている。

正当化も、否定も、結局は同じ在り方でしかなく、そのどちらも赦しからは程遠い。

真の赦しは、痛みを直視しながら、それを批判せず、受け入れるという姿勢にある。

私のせいいっぱいの家族への愛と赦しとともに、我が家が抱える自閉症の質について表現するならば、知覚の敏感さ、体と心のズレ、こだわり、表現とコミュニケーションの窮屈さが、彼らの心の痛みを強めていると言えるだろう。

そして、家族から受け継いだその質によって、私自身も同じように苦しい期間が長かった。

専門家に言わせると、それは、発達障害そのものの質というよりも、後天的なストレスだという。

外からその障害がわかりづらい彼らは、周囲に過剰な期待をされ、理解されず、孤立するのだという。

障害そのものの問題よりも、周囲の不理解による心的ストレスの方が彼らにとっての問題だと、抑圧された怒りのようなもので声を震わせながら担当医が話してくれた時には、彼の中にこそ、長い間抑圧されてきた心的ストレスをみた。

今にも爆発しそうな爆弾を抱えている彼には、発達障害のような兆候がみられ、社会人としては、とても生きにくそうだった。

自分自身のことを振り返っても、精神科医やセラピストが、自分自身のことを知りたくて心の世界に足を踏み入れるというのは、紛れもない事実だと再認識した瞬間だった。

現在、自閉症を含む発達障害の子が増えているというけれど、それについても、別の解釈があるようだ。

それは、発達障害は昔から一定程度の割合で発生していたが、現代になってそれを特別だと認識しだしたことで、受診する人が増えただけだという考え方だ。

だから、発達障害が増えているというのは確かではないのだと、通っていた医療機関の専門家から聞いた。

「原因はわからないけれど、あなたのせいではないのですよ、お母さん。それは、自然発生的に一定量でいつも生まれてくる種類の人たちなのです。特別ではないのです。普通のことなのです。心配しないでください。」

というような説明がしっかりと腑に落ちなかったのは、その時の私が被害者でいたかったからかもしれない。

「発達障害が増えているのは、環境ホルモンのせいだ、予防接種のせいだ」と外に原因を見つけ出して、それらを糾弾し続けている方が、楽だったからかもしれないと今だから思う。

だけども、自らの自閉症について著書の中で明らかにしながら、多くの自閉症の人たちやその家族を勇気付けてきたテンプル・グランディン氏は、その著書の中で、それでも、自閉症は確実に増えている、と述べている。

どちらが正しいのだろうか?

それは「自閉症は病気や障害なのか?」という質問の答えくらい、不明瞭なことのように思える。

正しさで線引きすることは、真の科学(人間学)の発達と、その道の学者に任せておいていいのかもしれない。

*最近では自閉症は脳の障害ではなくて、知覚神経の障害だという発表があったことが印象的。
http://karapaia.com/archives/52223339.html

なぜかって、学者も含んだ《全人類》にとって、すべての《障害》は、間違いなく愛への入り口だからである。

私自身も、発達障害の娘を産み育てるという出来事がなければ、きっと、自分と向かい合うことはなかっただろう。

自閉症という重々しい言葉は、私が自分と向かい合うための大きなきっかけとなった。

つづく

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不定形発達育児記4:自閉症は《個性》か《障害》か?

現在11歳の娘が、4歳のときに受け取ったPDDという英語の診断名は、簡単に言うと発達障害の一種で、自閉症の一種だという。

言語発達の遅れを伴わないものをアスペルガーといい、伴うものを自閉症というらしい。

娘の場合は、言語的遅れがみられたために、自閉症の部類にあたるPDDというわけだ。

PDDとは、広汎性発達障害といって、育児書に書いてあるような一般的な発達を遂げていない場合に使われる使い勝手の良い診断名だと聞いたことがある。

そうではなくて、それは、立派な意義のある診断名だと専門家は言うかもしれない。

だけど、医者はいう。

原因はよくわかってない。

それは治らない障害で、治療法はない、と。

だとしたら、そんな診断名は、一般人にとって、どうでも良いものだ。

正直言って、大抵の親が知りたいのは、その原因と、どうすれば治るのか?だ。

それは、結局、よくわからない、広い範囲に渡る発達障害という曖昧な意味でしかない。

まあ、風邪にだって特効薬はないわけだから、自閉症にあるわけはなく、現代医療を責める気も起こらない。

前にも書いたけれど、私たち夫婦は、この診断名を否定しようと気はさらさらないし、自閉症という診断を受けてホッとしたというのが事実だった。

※詳しくは前回の記事へ

じゃあ「自閉症は病気や障害なのか?それとも個性なのか?」という質問に、私と夫は、個人的な見解であるけれど、今は「障害だと認識している」と答えるだろう。

なぜなら、当時の娘の状態を思い出したときに、それは、どんなに頑張っても《個性》とは言えなかったからだ。

理解できない、言葉を話さない、わからない、意思疎通ができない、いつも泣き喚いている・・・というのは、娘にとっても窮屈だったろうと思う(本当にそうだったかはわからない)。

そして、私たち親も、とても不安だった。

「不安だから障害か?」と言われると、定型発達者のうがった考え方のようで、傲慢だし、その理論は成り立たないと思う。

だから、何度も伝える通り、このことは個人的な見解であって、親の感情が少しは入っていることをご理解いただきたいと思う。

だけど、ここについては、感情論だけではなく、私たちが辿った治癒の経過という事実をもう少し明らかにしてきたいと思っている。

とにかく、個人の感覚なので、病気や障害であっても個性であっても、どちらでもいいと思っている。

確かに、自閉症は、《個性》であって、障害でも病気でもないという議論があることを知っている。

私たちが悩んでいた時期に「心配することはない、それは、個性だから。」と何度か励ましのメッセージを伝えられた気がする。

だけど、私たちが彼らの言葉をそのまま受け取らなかったのは、彼らがはなから医療機関に出向いていなかったことや、治療という選択をとっていなかったから、また、自閉症の子を持つ親ではなかったからだ。

症状に本気で向かい合う選択をする親は意外と少なく、大概は、大したことはないと楽観的にほっておくか、行政のいいなりになって不安でいっぱいかのどちらかだ。

私たちは、積極的な治療と改善を選んでいたけれど、不安がなかったわけではなく、いつも迷っていた。

だから、当事者ではない人たちからの不安や痛みを理解しないで放たれる言葉は、私たちには響かなかった。

ここは感情論でもある。

だけど、ただ、事実だけを捉えれば、専門家に診断を受ける、治療をする(西洋医学では治らないとされているが)という対応ではなく、ただ、その子をそのままにしておくという選択をしているとしたら、私たち夫婦とは辿った道のりが異なるから、意見も違って当然なのだ。

それはそれでよいわけで、私たちには私たちの辿った道があり、互いのアイデアを尊重したいと思う。

シンプルにいうと、私たち夫婦は、自閉症を《障害》と思っているが、治らないという西洋医学の考え方には納得しておらず、それは治る、改善すると思っていて、そうなったときに、それが《個性》になると信じている。

そして、今、私たち夫婦は、娘の状態を目の当たりにして、娘の状態を《障害》ではなく、《個性》と思えているのだ。

つづく

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不定形発達育児記3:暗中模索の日々

何かが違う・・・と感じながら、私と夫は、とても落ち着かない状態でそれまで4年間育児をしてきたように思う。

娘が2歳の頃、インターネットで自閉症について検索しながら、チェックリストを見て、娘がどの程度なのか、何に当てはまるのかを、何度も何度も夫と一緒にチェックしていた。

自閉症なのか?

そうじゃないのか?

この質問には当てはまるけれど、これには当てはまらない。

なんとか、自閉症じゃないっていう結果がでないものかと、夫と私は、無意味なチェックを毎晩行っていた。

今思えば、私たちは、霧の中にいた。

暗中模索というのはこのことだろう。

確信を得られないまま、日々は過ぎていった。

娘は3歳のころ
・「みず」「ぱん」などの一語文に「のむ」「たべる」などをつけて、片言の日本語を話していた。
・名前は言えなかった
・何歳という質問にも答えられなかった
・話せないというよりも、理解できないという様子だった
・目を合わせて感情を感じ合うことができなかった
・毎日ひどい癇癪を起こしていた
・食物アレルギーがあった

などの状態があり、私は、そのどれもにとても深刻に悩んでいた。

最初の子育てだから、当然かもしれない。

幼稚園の年少クラスに入る時に、園に娘が名前が言えないということを伝えたら、保健所へ行って相談するようにとアドバイスを受けた。

それから、保健所の発達相談へ通いだした。

そこで、何を話していたのかは、あまり覚えてない。

日々の様子や、私との関係を、尋ねてくれていたような気がする。

その中でも印象的だったのが「いろいろ心配なことはあるだろうけれど、娘さんがお母さんのことをとても信頼していて、大好きだっていうのがわかりますよ。」というカウンセラーの言葉だった。

保健所で私は何度も涙した。

育てづらい子だと感じていたが、最初の子育てだから、それが普通と言われたら、それまでだった。

何かが違うけれど、何が違うのかわからない。

私は、いつも不安だった。

だからこそ、4歳で、ようやく診断を受けた時に、ほっと胸をなでおろすことができた。

・・・ああそうだったんだ。

・・・自閉症だったんだ。

・・・娘の何かが違うと感じていたのは、私の勘違いではなかった。

・・・私が悪い親だから違和感を感じているのではなかった。

という安堵とともに、すべての謎が解けた瞬間だった。

つづく

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不定形発達育児記2:受診までの経緯

幼稚園の年少に入園したころ、娘は自分の名前が言えないのはもちろんのこと、「はい」「いいえ」という返事もできなかったし、「何才ですか?」という質問にも答えられなかった。

夫が、娘に「お名前は?」と聞くと、娘は「おなまえは」とおうむ返ししてきた。

喋れないというよりも、言葉の意味がわかってないという様子だった。

なんとか年少クラスに入れたものの、園で何が行われているのか理解できず、娘はよく癇癪を起こしていたという。

担任の先生が、度々電話をしてきて、娘の様子を話してくれて、発達障害の診断を受けるようにと勧めてきた。

後からそのことを周囲に話すと、園の対応が失礼であるという批判とともに、「それはさぞ苦しかったろうに。」というような反応をもらうことがあったのだけれど、実は、私は、さほどそのことに傷ついてはいなかった。

当時受けていたインナーチャイルドセラピーがとても助けになっていたんだと思う。

それがなかったら、私は、ひどく傷ついていたか、その傷ついた気持ちを隠すために防衛して、園を激しく批判しながらモンスターペアレンツ化していたかもしれない。

その頃には保健所に通って、娘の様子を定期的に報告していた。

人より少し発達が遅いというのは明らかだったが、正式な診断を受けるためには、医療機関に行く必要があった。

だけど、保健所から勧められた医療機関は、診断が混み合っているので、受診するために、半年〜10カ月ほど待たなくてはいけなかった。

私たち夫婦は忍耐強くそのときを待った。

そして、約10カ月待って、ようやく医者の診断を受けることができた。

5分から10分の雑談のような会話で、娘の様子を伝える間、若い担当医は何気なく娘を見ていた。

そして、長い間ののち、彼が、震える声で「自閉症です」と言ったとき、私たち夫婦は、静かにその言葉を受け止めることができた。

診断なんて、毎日と言えるほど下しているだろうに、どうしてこんなにぎこちない雰囲気になるのだろうかと不思議に思ったが、きっと多くの親がパニックになるのかもしれないし、受け入れられず医者の診断を否定することもあるのかもしれない。

そう思えば、その時の医者の緊張にも納得できる。

だけど、私たち夫婦にとってその診断は、それまで4年間の心の靄を晴らしてくれるような、そんな安堵感を与えてくれるものだった。

診断を受けることについては、賛否両論があるようだ。

そもそも、発達障害なんて、昔からあったことなんだから、診断を受ける必要なんてないという意見もあることを知っている。

だけど、私たち夫婦は、約10カ月待って、ようやく診断を受けることができ、「自閉症」という診断に胸をなでおろした。

つづく

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不定形発達育児記1:深刻な診断と娘の今

10年前、娘の1歳検診で、膝の上に抱えていた娘の様子を見るなり、医者が怪訝そうな顔をして「これまでの検診では何か言われなかったか?」と聞いてきたときには、私自身が、医者のその反応を受け入れられなかった。

思えば、娘が0歳の頃から、私は、何かが違うと感じながら育児をしてきた。

娘はとても育てにくい子だった。

意を決して診断を受けたのが、娘が4歳のころ。

プロセスを端折って、結果だけを書くと、4歳でPDD(広範性発達障害)と診断を受けた娘は、今11歳になって、元気に地域の小学校に通っている。

私がセラピストとして働いているので、放課後は学童に通い、週に2回は水泳と体操の習い事をしている。

学校では、親友と呼べるくらいの仲の良い友人がいる。

最近では、時々、友人と遊びたいから言って学童を休み、放課後は友人と自転車で遊びに行ったりもする。

学校の仲良しグループには、気の合う男の子の友人もいるようで、つい先日、女の子3人、男の子3人のグループで、とうとう映画に行くようになった。

集団生活は好きだという。

思春期にさしかかったせいか、クラスが荒れ始めていて、娘は時々心を痛めている。

先生に悪口を言う子や、掃除をサボってふざけている子、クラスメートをいじめる子を見るたびに、娘は嫌な気持ちがすると、私に相談してくる。

いじめを受けている子には、心を寄せて、言葉をかけてあげるときがあるという。

だけども、いじめている子には、どう反論していいかわからなくて、もどかしさを感じることもあるという。

勉強は嫌いじゃないようだけど、優等生ではない。

普通というのがぴったり。

通知表でも「よくできる」より「できる」が多く、国語は得意だけど、算数はちょっと苦手。

漫画家になりたくて、漫画雑誌に投稿し続けている。

これまでの3度の投稿で2回ほど「もうちょっとだった人」という欄に名前が掲載された。

絵は、親バカ視点で見たとしても、決して上手とは言えない

だけど、生き生きとした表情で、大胆な動きのある絵を描くようだ。

「なるべく早く漫画家デビューしたいから、大学は行かない。高校は行ってもいいけど迷ってる。」と、4年生のころから、明確な意思で私に伝えてくる。

家の手伝いもするけれど、時々、手伝いをやらなかったことで私や夫(父親)に怒られると、泣いて屁理屈を叫んで、部屋に閉じこもることがある。

しばらくすると、けろっとしてリビングにやって来て、おやつを食べている。

「自閉症です」と娘が診断を受けてから、7年が経った。

そして、娘は、どこにでもいそうな、ティーンエイジャーに成長した。

今でも、医者が、私たち夫婦の前で診断を下した時の、気まずいスローモーションのような沈黙が忘れられない。

長い間ののち、医者は、声を震わせながら「自閉症です」と私たちに伝えた。

何度も診断を下しているはずなのに、そんなに深刻になることなんだろうか・・・と違和感すら感じた。

きっと、その瞬間、多くの親が、パニックを起こすのを見てきたのかもしれない。

だけど、私たち夫婦は、「そうですか。」と静かに伝えて、その言葉を受け止めた。

つづく

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